君が生きた証を残すから


「今日は無理言って付き合ってもらっちゃってごめんね」
「いや、こっちこそ。その……色々ごめん」
「いいの気にしないで。私も、無神経なこと言ったから」

 店を出て早々、お互い視線を外したまま謝罪の言葉を口にする。
 こんな重たい空気のまま別れるのか?さすがにそれは気まずいだろ。けれど、この空気を変えるような話術は持ち合わせていない。

 よりによって今日は、あの日と同じ夕焼けの沈む空が広がっている。
 過去の記憶に上書きされるように、また後悔が増える。
 こんな結果にしたかったわけじゃないのに。なんで上手くいかないんだ。やっぱり僕は、人と関わるべきじゃないんだ。

「それじゃあ、そろそろ帰るね」

 彼女の言葉に、僕はようやく顔を上げることができた。
 そうだな。店の前でいつまでも立ち止まっているわけにもいかない。
 彼女とは明日から話すことはできないかもしれないが、それを悔やんでいても仕方ない。ただ、今回も上手くいかなかっただけだ。

 僕はいつの間にか、諦めることに慣れていたらしい。

 ――ごめん……。

 声になることのない言葉が息となり、空に消える。

 深く深呼吸をしてから、またねの言葉を告げようとしたその時。

「あれ、お兄ちゃん?と、あと誰かいる!」

 後ろから駆け寄ってくる足音に振り返ると、そこには学校から帰ってきた茜がいた。

「今日早くね?」
「職員会議だったから。それで、そちらの人は?」

 茜が不思議そうに水月さんのことを見つめる。その視線に気づいた彼女は笑顔を作り「湊大くんと同じクラスの水月日和です」と言った。

「あーなるほど」

 同じように笑顔で頭を下げ、何かを察した茜と目が合った。
 そういえばこいつに話したな。水月さんの名前は出していないけど、キッチンで話した相手が彼女だと気づいてるっぽい。

「湊大の妹の茜です。いつも兄がお世話になってます」
「いや、ただのクラスメイトだから」
「いやいや、普通ただのクラスメイトと二人で一緒に帰らないでしょ。……でもまぁ、お兄ちゃんのことだからほんとにただのクラスメイトなんだろうね」

 なぜそこで残念がるんだ。
 分かりやすく落ち込む茜は再び水月さんと目を合わせた。

「こんな兄ですけど、これからも仲良くしてやってください」

 先程まで気まずい空気だったのに困らせるようなことを言うなと、何の事情も知らない茜に言っても無駄か。
 何か言って適当に流そうと前に出たが、彼女は嫌な顔ひとつせず「はい!」と、いつもの明るい声で返事をしていた。
 もしこれが彼女の本心なら、明日からも同じように言葉を交わしてくれるだろうか。なんて、今の僕が願っていいことじゃないか。

「妹さんいい子だね」
「まぁ、そうだね」

 別れ際、お互いに聞こえる声でそんなことを話していた。

「じゃあね。今日はありがとう」
「こちらこそ」


 茜がいてくれたから、家までは三人同じ歩幅で並んで歩いた。おかげでギクシャクしたまま別れずに済んだけど、一度ついた後悔の傷は消えない。

「よければ今度、うちにも遊びに来てくださいね」
「うん、ぜひ!」

 いつの間にか二人は仲良くなっていたようで、そんな会話が聞こえてきた。

 これで、長かった今日が終わる。
 良くも悪くも色濃く刻まれたこの日のことは、しばらく忘れることはできないだろうな。

 送っていこうかと声をかけたが、大丈夫と言われたのでここで彼女のことを見送る。
 また明日謝ろう。それで満足するのは自分だけだけど、これで最後にするから許してほしい。
 もう関わらないようにするから。
 だってもう、彼女の沈んだ顔は見たくないんだ。
 誰にも打ち明けられない後悔を内に秘めたまま、離れていく背中を見つめていた。



*̩̩̥






 いいんだ、これで。いいんだ。

 仲の良い兄妹と別れた後、段々熱を帯びてくる目を強く擦りながら走って坂道を駆け上がる。
 明日目が腫れるとかどうでもいい。全部終われば、何も残らないんだから。

 安定しない足取り。荒くなる息。肩を上下に揺らしながら、何とか自分の家まで帰って来られた。

 誰もいない真っ暗な部屋の中、一目散に自室へと向かう。

「……」

 空っぽの部屋、冷たい床に座り込んで、思い返すのは自分の悪行。

「いくらなんでもあれは言い過ぎた……あの子、()()()()()()()だって思ってるかも」

 壁にもたれかかって、置いていた鏡の方を見ると虚ろな目をしている自分と目が合う。
 走ってきたせいか、ちょっと老けたようにも見える。
 今にも遠くへ行きそう魂を時計の秒針に意識を向けて強引に引き留める。

「でも、あれぐらい言った方が印象に残るだろうし。これでよかったんだ」

 視線を移し、ノートが閉まってある机を見つめて重たい腰を上げた。
 スーッと木製の引き出しを開け、顔を出した見慣れたノートを視界に映すとなぜが止まっていたはずの涙が溢れてきた。
 どれだけ堪えていても、どんなに蓋をしていても、堪えきれないものは溢れてしまうのだと初めて知った。

「ねぇ、どうして覚えてるの……?」

 潤んだ瞳と震えた声で、誰にも届かない思いを口にする。

「ごめんね」

 その勢いに任せてペンを取り、文字を書く。
 今日のことを忘れないように、記憶が鮮明なうちに。書き留めたい。



𓍼ˢ❀


 次の日、水月さんは学校に来なかった。
 
「え、水月ちゃん休み?」

 クラスでは水月ちゃん呼びが定着し、クラスメイトが心配の声を上げていた。昨年から休み気味だったのもあって、彼女と仲の良い友達は。

「あちゃー、体調崩しちゃったかー」
「水月ちゃんドッジボール頑張ってたもんね」

 と微笑まし気に話していた。

 それだけならいい。ただの体調不良で休んでいるなら。
 担任からもそれ以上のことは聞いていない。でもなぜだろう、妙に落ち着かない。昨日あんなことがあったからなのか、言わなければならないことがあるからなのか分からないけど、嫌な汗が背中を伝う。
 この予感を信じてしまいそうになったのは、別れ際、彼女が「またね」という言葉を口にしていかなったからだ。