「んー美味しい!」
運ばれてきた透明な容器にはスポンジケーキとアイスクリーム、ホイップクリームにカラフルなフルーツと可愛らしいクッキーがトッピングされている。
美味しそうにパフェを頬張る彼女の目は子どものように輝いていた。
「甘いもの好きなの?」
「甘味は癒しだよ」
ここに来るのは初めてだったらしいけど、彼女は店に入るや否やメニューを見て迷わずパフェを選んでいた。
「湊大くんは甘いもの苦手なの?」
僕が頼んだのはグリーンティー。
普段から甘いものは食べないし、こういう店も誘われない限りは立ち寄らない。
「好き好んでは食べないかな」
苦みのある抹茶なら飲めると思って注文したが、少量口に含んだだけで全部は飲めないと確信した。
カップを置き、向かいの席を見てパクパクと食べ進める彼女に思わず感心してしまう。
この人、苦手な食べ物とかなさそうだな。
美味しそうに食べる姿は優しく柔らかな雰囲気を纏っていて、見ていると穏やかな気持ちになる。
「クラスマッチ、お疲れ様」
ようやくスプーンを置いたと思ったら今度は新しい話題が飛んできた。
「お疲れ」
一組男子は優勝、女子は準優勝という結果に終わった。総合的に僕たちのクラスが優勝という形になり、二年生のスタートとしてはいいものになったと思う。
「準優勝って言っても勝ち点的には引き分けで、二クラス準優勝だから嬉しさは半分くらいかな」
女子は二回戦で勝利したものの、彼女はあまり満足いってない様子。
「でも湊大くんがアドバイスくれたおかげで、長く内野に残れたからそれは嬉しかったな。ありがとう」
「ボール取ってたところ、見てたよ。すごかったね」
「え!?あの時見てたの?なんだか恥ずかしいな。……ボール追うのに必死だったんだけど、かっこいいところ見せられたみたいでよかった!」
はにかむ彼女の頬が薄っすらと色づく。
多分あの時の姿はしばらく頭から離れないと思う。逃げずに立ち向かった彼女はすごくかっこよかったから。
「……」
この場の空気を変えるように、水滴が滴るグラスを手に取って上品に水を飲んだ水月さん。その視線は下を向いたまま、置いたグラスの縁を指でなぞる。
「お礼と言っては何だけど、悩みとかあったら聞くよ」
「なんで悩みがある前提」
「だってなんか君、色々抱えてそうだから」
クラスマッチの休憩中に余計なこと言ったせいか。弱みでも握ろうとしているのでは、という考えも一瞬過った。
「僕なんかの悩みを聞いても面白くないと思うけど」
「面白さを求めて言ったんじゃないよ。あ、もしかして僕様の悩みを聞いてもらうなんて申し訳ないとかって思ってる?」
あの時に話したこと面白がってんじゃん。ニヤつく顔が隠しきれてない。そうやって揺さぶることで聞き出そうとしているのか知らないけど、生憎自分の悩みを人様に解決してもらおうなんて思ってない。
「そうですよ。どうせ僕の悩みは小さい石ころみたいなものですし、悩むなんて贅沢できないですよ」
「ごめんってば。でも真面目な話、悩みを持つことが贅沢だなんて思わない。人の悩みはそれぞれなのに、比べたところで解決しないじゃん。他と比べて小さいからって見放しちゃだめよ。それに悩みは、大きくなるにつれて打ち明けるのが難しくなるから、今のうちに解決できてよかったって思えばいいんだよ」
さっきまでふざけて笑ってたのに、どうしてそうすぐに真面目なトーンに切り替えられるのか不思議だ。
ここまで言ってくれているのに、断るのも申し訳ない気がしてきた。それに、自分自身のことじゃなければ話してもいいかもしれない。
「じゃあ、自由って何だと思う?」
「えっ……?」
単純な問いのはずなのに、彼女は少し動揺していた。
「え、あ、ごめん。面白いこと聞くなぁと思って」
「いや、こっちこそ急に聞いてごめん」
気まずい空気になり、僕はおもむろにグリーンティーの入っているカップを持ち上げた。
同じ空気を感じた彼女も軽く咳払いをして話を戻す。
「自由ってなんだってことだよね」
「うん。少し前に会った人から言われたんだけど、いまいちピンと来なくて」
普段の会話でなかなか話題に出てこないものだろうけど、彼女は何の迷いもなく答えを告げた。
「私は……私にとっての自由は、ありのままの自分を肯定してくれる世界かな。自由でいるためには、自分のことを受け入れてもらえないといけない気がするんだよね。自由に生きる=自分らしく生きられることだと思うから」
ありのままの自分を受け入れてくれる世界でなければ自由にはなれない。それは彼女の中にある嘆きの言葉のようにも思えた。そんなことを言えるのは、彼女自身が過去に生きづらいと思った経験があるからではないのだろうか。
そして「まぁ、それが難しいんだけどね」と苦笑いを浮かべていた。クラスマッチで話した時から何となく勘づいていたけど、彼女の過去には何かある。
僕は、そこに踏み込んでいい人間ではない。
だから、彼女みたいに気安く「話を聞くから」と言うことはできない。聞いたところで何か力になれるわけでもないし、上手いアドバイスができるわけでもないから。
「ありがとう」
その表情は決して明るいとは言えないが「どういたしまして」と微笑む彼女は、なせかあの日のみずきさんと重なって見えた。
僅かな沈黙の後、スプーンで残りのパフェが入った容器をつつきながら俯いていた彼女が、何かを思い出したかのように勢いよく顔を上げた。
「ねぇ、その前に会った人ってどんな人?」
「えっ、なんで」
急な声に驚いて、思わず座っているだけの足を後ろに引いた。
「だって君が誰かの話をするなんて珍しいなと思ったから。女の人?」
なんでここに来て食いついてくるんだよ。しかもそんな楽しそうに……。
「ねぇねぇねぇ教えてよ!」
女子ってこの手の話好きだよな。
どこに盛り上がる要素があるんだろうか。
深堀されるのは面倒だが、この人の場合答えないとずっと聞いてきそうだからな。
「僕らより少し年上の女の人だよ。通学路の途中にある公園で会ったんだ」
それを聞いた彼女はめちゃくちゃ楽しそうに喜んでいた。
先程見せた大人な笑みは錯覚だったのだろうか。
「じゃあそのお姉さんに言われたことをずっと考えてたんだぁ。可愛いなぁ」
子どもをからかうような言い方で、零れる笑顔を押し込めようとしている。
そこまでするならいっそのこと盛大に笑ってくれ。
「勘違いしないでほしいんだけど、君が思ってるような関係じゃないから」
そうは言っても火照った体に、赤らんだ顔が何言ってるんだって話だ。
窓ガラスに映る自分を見て尚更かっこ悪く思えてきた。
「そういう関係じゃないにしても、湊大くんはその人のことが気になってたんでしょ?」
「は?!気になってたのは、あの人が言ってきた”自由”の意味で、別にあの人のことが気になるとは一言も」
弁明しようにも焦りが表に出て早口になってしまう。これじゃあまるで本当にあの人のことが。
彼女の言葉に翻弄されているかのように、今まで抱えていた自分の気持ちが分からなくなる。
そんな僕に構うことなく、水月さんはいたずらっぽく笑った。
「気になるってことは、その人のことを知りたいって思ってるのと同じだよ。見知らぬ相手に気になることを言われたとしても、大抵二・三日あれば忘れるし。ちゃんと覚えているのは、その言葉以上のことが気になっている証拠」
「言葉以上の……」
「ふーん。さては君、恋をしたことがないな」
「え?」
「じゃあ恋愛未経験の君に教えてあげよう。それはね、恋だよ。しかも厄介な一目惚れだね」
そんなことはない。だって彼女と話していた時、好きという感情は生まれなかった。それに。
「厄介ってどういう意味だよ」
「次にいつ会えるか分からない人のことを好きになったから厄介なの。その気持ちを変わらず持ち続けていても、叶わない可能性のある恋ってことだよ」
そんな同情の目を向けられてもな、と思いながら僕は俯いた。
僕が誰かを好きになることなんて、これから先もないのに。
そもそもこれは彼女が勝手に言っているだけで、僕が本当にみずきさんのことが好きだと決まったわけではない。僕がどんな感情を抱いているのか、自分でも分からないのだから、彼女にも分かるはずがない。だって彼女に僕の心は読めないのだから。
「恋じゃないよ」
自分に言い聞かせるように、膝の上に置いた汗の滲む手を握りしめた。
人に不快な思いをさせないように、傷つけないように生きている僕が、誰かに対して好意を抱くことはない。
あの日見た女の子の涙を何度も夢に見るのは、あの日の後悔がずっと消えないからだ。自分のせいで、誰かが悲しむ姿をもう見たくない。
どうせ僕は、涙を流して走り去る背中に何も言えないのだから。
そう思っていても、水月さんに僕の記憶が伝わるわけではないから、何も知らない彼女は踏み込んでくる。
「でもお姉さんの言ってたことがどういう意味なのか知りたいんでしょ?だからあの日、私に聞いて来た。姉妹いるの?って」
「それは……」
「まさかとは思ってたけど、その人と私が似てたとかいう理由で聞いて来たんだね。人と関わりたがらない君が、他人に聞いてまで答えを知りたがるなんて、それはもう確信――」
「違うよ」
続きの言葉を掻き消すように冷たい声を刺した。
自分でも分かっている。ここまでして他人のことを知りたいと思うなんて、普通じゃないってことくらい。それでも――。
「僕が誰かを好きになることなんてないし、人と距離を縮めたいとも思ってない」
放った言葉を正面から受け取った彼女の表情が微かに揺らぐ。
彼女と話していると調子が狂うから、いつか話したくないことまで話してしまいそうな気がする。そうはなりたくないから、意図的に強い言い方を選んだ。
本当はこういうことを言いたくない。相手を傷つけてしまうかもしれないし、自分の胸も痛むから。
でも正直、これ以上関わられるのも面倒だった。
「それは君も例外じゃない。なのに、どうして踏み込んでくるの」
その問いに真っ直ぐな答えが返ってくる。
「気になるからだよ」
僕は零れそうになる「どうして」を呑み込んで言葉を続けた。
「怜斗から聞いてるだろ。常に一歩引いて壁を作ってるって」
これを言えばあの時起きていたことがバレてしまうけど、今はそんなことどうだっていい。彼女が引いてくれさえすれば、それで。
「……君と同じだよ」
「どういう意味」
「その公園で会った人、好きかどうかは別として気になってるんでしょ?君がその人に対して抱いている気になると同じくらい、私も君のことが気なってる。だから同じ」
水月日和は僕のことが気になっているから踏み込んでくる。
本気か?と思わず疑った。今日まで僕のことを見てきて、どこにそんな要素があるんだ。僕なんかのことで、気になることなんてないだろ。
わからない。これまでも彼女がどういう人なのかわからなかったが、今でもよくわからない。彼女に僕は、どんな風に映っているのだろう。
分からないまま時間だけが経ち、気まずいと思ったのか、水月さんは一言も喋ることなく黙々とパフェを食べていた。
今すぐここから出たい。だけど彼女を残して席を立つこともできない。そんな矛盾する思考を無理矢理止めようと、氷が解け切った水を飲み干した。
おかげで頭は冷えたが、謝ろうとした頃には彼女と目が合わなくなっていた。
声に出すことも、呑み込むこともできない罪悪感。行き場を失った焦燥感。それを流し込もうと、味がしなくなったグリーンティーのカップを傾けた。



