時間が経って昼休みになると、チャイムと同時に僕たちは空き教室へ向かった。
うちの学校は年々生徒の数が減っているため、使われていない教室がちらほらある。その中で向かったのは南棟の三階にある空き教室。
最初、この場所を見つけたのは怜斗だった。近くに太陽を遮る建物がなく、陽が当たって居心地のいい教室。他に使っている人もいないから晴れの日はここで昼休みを過している。
空き教室でも当然普段は鍵がかけられているため、職員室に取りに行かなければならない。しかしこの教室は偶然にもドアの真横にある窓の鍵が壊れているため、開いたままになっていた。そこから手を伸ばせばドアの鍵が開けられるようになっている。加えて南棟の三階は、あまり人が通らないから騒がしくしなければ気づかれることもない、うってつけの場所。
今日もいつものように窓際一番奥で弁当を食べる。
「あ、昼忘れた」
なぜ教室を出る前に気づかなかったのか、自分の馬鹿さに嫌気が差す。
朝ご飯を食べ損ね、弁当を忘れるなんて今までにない失態。
茜の弁当を作るついでだからと一緒に作ってくれている母親の弁当はきっとキッチンに置きっぱなしだ。
仕方ない、あれは帰ってから食べればいいか。
「今日湊大寝坊したもんな」
「珍しいね」
「買いに行くか?」
「いや。めんどいからいいよ」
何か自販機で買って凌ごうと思い、財布を探していると、怜斗から割り箸を差し出された。
「え、なんで割り箸持ってんの」
「いつも予備で持ってんだよ。ついでにこの卵焼きやるよ」
そう言って怜斗は買ってきていたコンビニ弁当の蓋の上に卵焼きとサラダを置いた。それを見ていた拓巳と叶山も、自分の弁当からおかずを一品ずつ蓋の上に並べる。
「僕もおにぎり二つあるからあげる」
「じゃあこのハンバーグやるよ」
いつも学校に来る前にコンビニ弁当を買ってくる怜斗のおかずと、拓巳のおにぎり。意外にも自分で作っているらしい叶山の弁当にいつも入っているハンバーグの乗ったプレートが目の前に差し出された。
「あ、ありがとう」
何も言ってないのにこうやって分けてくれるの優しいな。今度何かお礼しないと。
怜斗から受け取った割り箸を割って、分けてもらったおかずを一口食べた。
「小学校の時さ、弁当忘れたやついたらこうなってたよな。クラスみんなからおかず一品ずつ分けてもらって最終的に一番豪華な弁当なるやつ」
「うちの学校は先生が弁当発注してたな。朝学校来て忘れたやついないか確認して」
「つまんねーな」
「弁当に夢を求めるなよ」
自分で作っている叶山の口から聞くと説得力があるけど、目の前に作られた自分だけの弁当はとても温かく感じた。
「そういやさ、湊大って水月さんと知り合いなの?」
「なんっ、ゴホッ」
突然聞かれたことに思いきり咳き込み、水を飲んでから「初対面だ」と答えた。
「そうか」
なにか引っかかるのか、納得のいかない表情を浮かべる怜斗。それに叶山が呆れ口調で聞いた。
「何を根拠に湊大と知り合いだと思ったんだよ」
「何って……勘違いかもしんねぇけど、水月さんが湊大のこと見てたから、てっきり」
勘違いだろ。一度も目が合っていないどころか視線も感じなかったのに。
「たまたまじゃない?」
僕の代わりに拓巳が言うと、怜斗は足を組んで顎に手を当てた。
「えーそうか?結構ガッツリ見てた気がするんだけどな。湊大の背中」
……背中?
「湊大とは目が合わないように見てるんだろうなーとは思ってたけど」
全然知らなかった。確かに怜斗の席なら、僕と話している時の彼女の様子を見ることができる。
作り話のようにも思えないし、こいつがそう言ってるから本当なんだろうけど。
「なんで?」
「俺が知りてぇよ」
もしかして用事があって話しかけようとしていたのではないだろうか。日直だし、日誌のことを任せっきりだから何かあったのかもしれない。
「でもあれは、好意の目ではなかったな」
「会って一日も経ってないのに好意なわけないだろ」
「んーどちらかと言うと、ちょっと睨んでるようにも見えた」
「……え」
その瞬間、ゾッと背筋が凍った。
隣から感じていたオーラとあの目は勘違いではなかったらしい。
「見間違いだろ」
「嫌う理由もないだろうし」
二人は庇ってくれているが正直自信はない。
僕はまた、無意識のうちに気に障るようなことをしたのかもしれない。それなら謝らないと。
罪悪感を抱いたまま昼休みが終わり、五限目のチャイムと同時にノートを開いた。
まず何を謝ればいい……。そもそも自分が原因か分からないのに、謝っていいのだろうか。もし自分の思い込みだったら、謝られても迷惑ではないだろうか。そもそも嫌われていたら話すら聞いてもらえない可能性もある。なるべく自然にいきたいけど、果たして自分にそんなことができるのか。……あー、だめだ。毎日日記を書いていても、謝罪文を書くことなんてないから全く浮かんでこない。
考えれば考えるほど言葉は纏まらず、気づけば放課後になっていた。
授業そっちのけでずっとノートと向き合っていたから、真面目に授業を受けていたのは湊大くらいだと怜斗に笑われた。おかげで授業には集中できず、覚えているのは五限目の教師は自己紹介がやたら長かったことと、六限目の教師は初回から真面目に授業を始めたことくらい。
隣の彼女のことは昼休み以降ずっと気になっていたが、怖気付いていたせいで彼女の方を向けなかった。つまりチャンスは今しかない。
日直の最後の仕事は教室の戸締り。だからクラス全員が帰るまで待たなければならない。でも中には部活の準備をしてから教室を出る人もいるため、戸締りは最後の人がやればいいと言われていた。だけど僕は部活をやっていないので、放課後は時間に余裕があるから最後になるまで残っていた。
隣の彼女はというと、クラスメイトが次々に教室から出ていくなか、たまに呼ばれた声に手を振り返したりしながら日誌を書いていた。
「湊大、戸締り手伝う?」
「いやいいよ。先帰ってて」
「そうか、じゃあまた明日な」
三人には悪いけど、できれば誰にも聞かれたくない。だから心の中で「ごめん」と謝りながら教室を出る友人を見送る。
そういえば、彼女は部活に所属していないのだろうか。
昨年から休み気味だったらしいし、思うように活動できないなら入っていない可能性が高い。でも万が一、日直の仕事を優先してくれているのだとしたら。
「水月、さん」
初めて彼女の名前を呼んだ。ぎこちないけれど、ちゃんと聞こえていたようで、書いていた手を止めて顔を向けてくれた。
「もし何か用事あるなら残りはやっておくよ。だから――」
「あー平気だよ。部活もやってないし、あとは帰るだけだから。君は?」
「……僕も部活やってないから、大丈夫」
「そっか、よかった。もう少しで書き終わるから待ってて」
僕の話し方以外は自然なやり取りだったと思う。
ひとまず安心して彼女の手元に視線を落とすと、そこにはお手本のような美しい文字が書かれていた。
「書道とかやってた?」
「習ってないよ。でも大人っぽい字に憧れてたから、真似して練習してた」
手を動かしながら答えた彼女は書き終えた日誌を閉じてシャーペンを片づけた。
「よし」
席を立ち、彼女は鞄の中に教科書やノートをしまっている。
これを逃せばもう二度と話す機会がこないかもしれない。
僕は覚悟を決めて、息を吸った。
「あの!」
その声に肩がぴくりと反応し、驚いたようにこちらを見た。
彼女は鞄の中で操作していたスマホから手を離し「どうしたの?」と聞く。
頭は若干下を向いていて、視線も床を見つめているけれど、口はちゃんと動く。
だから言え。
「もし隣が嫌なら席変わってもらうし、君が不快に思うことしてたら謝るし、嫌いなら嫌いって言ってくれていいから、とにかくごめん」
「え、ちょ。急にどうしたの!?」
いきなり謝罪した僕に、あたふたして「頭上げてよ」と言う彼女。言われた通り頭を上げると、困ったように笑う彼女と目が合った。それに思わず逸らしてしまう。
「友達から聞いたんだ、睨まれてたって。だから何か気に障ることしたのかと思って」
「え、私に?」
戸惑いながらそう聞く彼女に、うんと頷いた。
すると「やばい」と口にしなくてもその言葉が表情で分かり、今度は彼女の方が「ごめん」と謝った。
「私考え事してたら、たまに機嫌悪そうに見えるって言われること多くて。一応気をつけてはいるんだけど、やっぱり癖ってなかなか治らないね。だから睨んでたわけじゃないし、嫌なことがあったわけじゃいなんだ。ごめんね」
なんだ。そうだったのか。
彼女の視線が勘違いだったことが分かり、安心したら全身から力が抜けた。
申し訳ないと何度も頭を下げる彼女に、今度は僕がテンパって慌ててしまう。
「でも誤解が解けてよかったよ。もし君が何も言わずに私のこと怖い人だって思ってたら、隣同士変な空気になるところだったから。話してくれてありがとう」
「あ、うん」
柔らかくて可愛らしい安堵の笑みを向けられ、ほんの少しだけ心臓が早くなった。
教室の鍵を閉め、誰もいなくなった廊下に二人分の足音が響く。
「じゃあ私、日誌出してくる。ついでに鍵も返してくるから、今日はこれで。またね」
「うん、また」
玄関とは反対側にある職員室に向かう彼女の背中をそっと見つめる。
これで明日からは普通に話せるのだろうか。そうすればいつか聞くことができるかもしれない。公園で会った女性のことについて。
そうなればいいなと願いながら、僕は彼女の姿が見えなくなるまで待っていた。
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「どうだった?登校初日は」
日誌を手渡しに職員室に行った帰り際、先生から声をかけられた。
新学期前日。去年から学校を休み気味だった私に直接連絡をくれるあたりマメな人だなとは思っていたけれど。ここまで気にかけてくれていたとは……そこまでしなくてといいのにと思いつつ、にこやかな笑顔を向けた。
「優しそうな人が多くて素敵なクラスだと思います」
これは本当に思ったことで、今日私に声をかけてくれた人たちはみんな優しかった。最初だけかもしれないけれど、それだけでも充分だった。
「そうか、ならよかった。だけど無理はするなよ」
「はい」
休んでいた理由は、昔から体調を崩しやすい体質だからと告げ、過去に病院からもらった診断書を見せたところ、あっさり信じてもらえた。
でもこれも嘘じゃない。
「そうだ、これ。中には大事なやつあるから目を通してくれよ」
渡されたのは紙の束。きっと私が休んでいた時の分だろう。
新学期は配布物が多すぎて嫌になるな。そんなこと口が裂けても言えない。
「分かりました。ではまた」
私は頭を下げて、職員室を出た。
堅苦しい空気を抜けて、無駄に長い廊下を歩く。そしてようやく広々とした玄関に着いた。
外では運動部の掛け声が聞こえ、校舎内からは楽器の音がする。
ようやく高校に来られたんだ。そう実感できたのは、今に始まったことじゃない。
朝起きて、いつも通り自分の部屋の天井を見つめて、腕を伸ばす。自分が自分であることを確認して、部屋のクローゼットにある制服を手に取った時からずっとそわそわしていた。
初めてだった。誰かに会いたいと思いながら家を出たのは。
学校に来てからは先生の話を聞いて教室まで案内された。高校に来ること自体が久しぶりで、どこか落ち着かなかったけれど、その感情は教室に入ってからすぐに消えた。
人間誰しも第一印象が大事だからと、愛想良く笑顔を向けて声を出す。
「初めまして。水月日和です。よろしくお願いします」
お辞儀をして、クラスメイトからの拍手を聞いて、新しい時間が始まるんだと思えた。
それからも有難いことに、私の席の周りにはクラスの女の子たちが寄ってきてくれた。
「水月さんおはよ!」
「私の名前はね……」
「好きなものなに?」
「今度一緒に出かけない?」
当たり障りのない会話だけれど、そのひとつひとつが嬉しくて、つられて私も笑っていた。
その時からずっと気にかけていた。隙間から見える彼のことを。
一日が終わり、後は教室の戸締りをすれば帰れると思った時、彼はいきなり頭を下げた。
「もし隣が嫌なら席変わってもらうし、君が不快に思うことしてたら謝るし、嫌いなら嫌いって言ってくれていいから、とにかくごめん」
最初は何に対しての謝罪か分からなかった。謝られるようなことは何もされていない。誰かと勘違いしているのではないか。そう思っていたけれど。
「友達から聞いたんだ、睨まれてたって。だから何か気に障ることしちゃったのかと思って」
その言葉でようやく理解した。
友達というのは彼の隣の席の人だろう。よく話していたし、その背中を見つめていた自覚はあった。
でもそれは、彼のことが嫌いだからじゃない。だけど、本当のことを話すわけにもいかないと思い、咄嗟に思いついたことを言った。
「私考え事してたら、たまに機嫌悪そうに見えるって言われること多くて。それで気をつけてたんだけど、やっぱり癖ってなかなか治らないね。だから睨んでたわけじゃないし、嫌なことがあったわけじゃいなんだ。ごめんね」
そう告げると彼は安心したように肩の力を抜いていた。
ごめんね、本当はちゃんと事情があるんだ。でも言えない。特に君には、湊大くんには秘密のままにしておきたいから。
私が「話してくれてありがとう」と言った時、瞳の奥で不安が揺れていたことには気づいていないと思う。
でもそれでいい。何も気づかないままで。
どうせみんな、忘れちゃうんだから。
学校の校門を出るその足取りは重く、顔を前に向けることができなかった。
家に着くまでの道はいつもと変わらないから、今いる場所を意識していなくても歩いていれば辿り着く。
古風な町並みが広がる道。陽だまりのような暖かい日差しが降り注ぐ明るい場所。その隅っこに私はいる。
この町に引っ越してきたのは小学校に上がった時。
観光地として有名な町らしく、確かに見えている部分は美しく趣のある優しい場所だった。
人々で賑わう店が立ち並ぶ道が続く中、人気が途切れる場所がある。そこは、見上げると緑が生い茂るだけの景色が広がっている町の端っこ、山のなか。山道を進むと、お寺があって人もいる。
その少し手前にある、木々の間に隠れるようにして建っている小さなアパート。そこに私は住んでいる。
昔はお寺に来た人が泊まれるようにと建てられた場所だったらしいけれど、今では町に旅館があるため必要なくなった。
場所的に取り壊すのは難しく、建物自体も綺麗なままだったため、今はアパートとしてこの場所に残っている。ただ、立地が悪いので住んでる人は少ない。
階段を上り、二階にある家の鍵を開ける。そこは必要最低限のものしかない、とてもシンプルな部屋。
昔は散らかっていたとは思えないその場所に、今は何もない。
普段使っているのはキッチンと自室のみで、リビングにあるソファもテーブルもテレビも使わない。それでもちゃんと掃除はする。いつ誰が来てもいいように。
できるだけ音を立てないように歩き、廊下の明かりをつけずに部屋まで行く。
カーテンを開けても陽の光は届かないので、常に閉めているからこの家はいつ見ても暗い。
唯一つけるのは自室の机にあるライト。
鞄を置き、制服のまま椅子に座ると、机の上に置かれた古びたノートを手に取る。表紙を見ただけで中身を見ようとはせず、私はその隣にあった新しいノートを開き、今日の日付を書いた。



