君が生きた証を残すから


 オリエンテーションに進路指導、身体計測。個人的に思う、一年のうちで最も疲れる日が終わった。

「帰るか?」

 鞄に筆箱とファイルをしまいながら隣にいる怜斗に声をかけた。

「悪い。俺今日帰れないんだよ」
「何かやらかしたのか」
「もー、叶山はすぐそういうこと言うー」

 背後にいた叶山に向かって軽く握った拳で殴りかかる。

 話を聞くと怜斗はこの後、他校との練習試合があるバスケ部の助っ人に行くらしい。元々所属している人数が少なく、今日出る予定だったスタメンの一人が欠席してしまったため、声がかかったそう。

「そう言えば昨年スカウトされてなかった?」

 確か一年の時、先輩がわざわざ教室に来て怜斗に話してたことがあったな。あれバスケ部に勧誘されてたのか。

「中学の時にやってたからな。でも今はバイトがあるから、部活には入らないって断った」
「でも怜斗のことだから、助っ人くらいならやるとかって言ったんだろ?」
「なんだ叶山分かってんじゃん」

 今度は嬉しそうに叶山の肩を叩いた怜斗。
 それに対して聞こえないくらいの声で「いたっ」と言いながら肩に手を当てていた叶山を僕は見逃さなかった。

「ならまた明日だな。試合頑張れよ」
「サンキュ」

 体育館シューズと鞄を持ち、怜斗は急いで教室を出ていった。

「あー、じゃあ俺もこれで」
「え、なんか用事あんの?」
「委員会」

 嵐の如く去っていった怜斗を見送った後、それだけ言い残して叶山も教室から出ていってしまった。

「図書委員の打ち合わせがあるらしいよ」
「あー、図書室は静かだから勉強できるって思ってそうだよな」
「自分から立候補してたし、多分そうだろうね」

 そんなこんなで今日は拓巳と帰ることになった。
 何気に拓巳と二人で帰るのは初めてかもしれない。拓巳は基本叶山といることが多いから、二人きりで話すということもあまりない。
 何か話すことはないかと話題を探ると、ひとつだけ思いついたものがあった。

「あのさ、自由ってなんだと思う?」
「え?いきなりだね」

 以前怜斗にもした質問だが、他のやつがどう答えてくれるのか興味があった。
 日常生活でこんなことを考えるタイミングなんてないだろうから困らせてしまうのは承知の上だったけれど、拓巳は真面目に答えてくれることを知っていたから問いかけた。

「そうだな。自由って僕もよく分からないけど、自由になれたら分かるのかもしれないね。自分今自由なんだなって感じられる瞬間が、その人にとっての自由……みたいな」
「……なるほど」

 本人は自信なさげな感じだったけれど、そういう考え方もあるのかと納得できる答えだった。

「湊大は?」
「僕も分からないから聞いた」
「そっか。よく使う言葉だけど、考えると難しいよね」

 ひとつの話が終わり、また会話の中に間があく。悪いことではないけど何か話してないと落ち着かない。すると今度は拓巳の方から話しかけてきた。

「そう言えば横峯くんから聞いたんだけど」
「横峯?」
「あ、隣の席の人なんだけどね。その横峯くん、昨年水月さんと同じクラスだったらしいんだ」
「え?」

 その名前に、また胸が騒つく。

「水月さん。一年の時もあんまり学校に来てなかったらしいんだよね。だから今年もどうなんだろうって言ってた」
「……そうなんだ」

 悟られないように言葉を返したつもりだったが、気づかれていないだろうか。

「なんでわざわざそんなこと」
「ちょうど昨日話に出てたから。あと、湊大は優しいから、ずっと来なかったら気にするんじゃないかと思って」

 一瞬、優しいってどういう意味だったか考えてしまったが、そこには触れず「ありがとな」と適当に流した。

 水月さん……昨年から来ていないということは、何か事情があるのだろうか。これがただの隣の席の人なら全く気にならなかったのかもしれない。僕が彼女のことを気にしているのはきっと、公園で会った女性のことが忘れられないから。

「湊大、道そっちだろ?」

 拓巳の声に俯いていた顔を上げると、自分の体がホワイトタウンの方に進みかけていたことに気づいた。

「え?あ、うん」

 声をかけられるまでボーッとしていた。それを誤魔化すように「また明日」と言っていつもの道に向かった。




「ただいま」
「おかえり、早かったわね」
「今週は午前で終わるから。着替えてから手伝う」

 店に出ていた母さんに声をかけ、部屋に上がった。

 自室のドアを開けると、音を立てないように鞄を床に置く。
 カーテンの閉まった部屋。隙間から昼の光が射し込んでいるが、一つしかない窓からの光では部屋を明るく照らすことはできない。
 堅苦しい制服に手をかけ、着替えようとクローゼットの方を見た。

「おいモチュ、なんでそんなところにいるんだよ」

 視線を落とした先にあったのは、適当に積み上げられているタオルや服の山。その中にモチュがいた。

「どうせ寝るならクッションにしろよ」

 独り言を呟きながらモチュを手に乗せ、ベッドの下に置いてあるお気に入りのクッションの上に乗せた。

「お前はいっつも同じ顔してんな。犬とか猫みたいに笑うことあんのか?見たことないけど」

 そんなことを言って、しゃがんでいた足に力を入れて立ち上がる。

『親には継いでほしいって言われてるの?』

 鞄から取り出したファイルの中、透けて見えたのは進路調査の紙。朝の会話を思い出して僕はため息をついた。
 この手の話を家でしたことはないし、されたこともない。
 今回は適当に書いて出すか。これが最終決定になるわけじゃないし。
 相談するにしてもそこに自分の考えがないから、何を言ったって説得力はない。それに、まだこの答えに決めたわけじゃない。誰かに望まれたら道を変えるし、自分の意思を話さないという選択肢もある。

 具体的に決まっていなくても何か書けと言われたから、とりあえず今はこれで。
 ペンを手に取り、空欄になっていた紙に就職希望とだけ書いた。