「貴博さん。あの……。お茶でも飲んで行かれませんか?」
「ありがとう。でももう遅いから、また今度にするよ」
もう遅いからって、貴博さんはいつもそう言って絶対部屋には上がらないんだ……。
「あの、お願いがあるんですけど」
「何?」
煙草に火を付けた貴博さんが、携帯用の灰皿をポケットから出しながらこちらを向いた。
「部屋の前まで……送って貰えませんか?」
「……」
嫌だ。何でこんな事言い出してるんだろう。家の前まで送って貰えただけでも感謝しなきゃいけないのに。
「ご、ごめんなさい。何でもないです。お、お休み……」
「いいよ」
エッ……。
貴博さんは、付けたばかりの煙草の火を地面に煙草を落として足で火を消すと、それを拾って携帯用の灰皿に入れた。
「行こう」
「あの……。でも……」
オートロックの鍵を開けてエレベーターに乗ると、貴博さんが階数ボタンを押してくれて、三階に着くと私を先に降ろしてくれた。
「あの、もうここでいいですから」
「部屋の前まで行くよ」
貴博さん……。
貴博さんと一緒に歩く通路が、やけに長く感じられる。やっとという感じで部屋のドアの前まで着いた。
「鍵開けて」
「は、はい」
急いで鍵を開けると、どうぞ!とばかりに貴博さんがドアを開けてくれた。
「戸締まりちゃんとして。それじゃ、おやすみ」
「貴博さん……」
本当にこのまま帰ってしまうの?部屋の前まで来てくれると言った言葉に、少しだけ期待してしまっていたからか、あっさりこのまま帰ろうとしている貴博さんに、不安を覚えてしまった。
「貴博さん。待って」
私の言葉を待っている貴博さんを見上げながら、その右腕を掴んでいた。
「今夜は……。貴博さん。今夜は帰らないで」
「……」
貴博さんは私の発した言葉に動じる事もなく、静かに腕を掴んでいた私の左手を右手で離した。
「貴博さん……」
「明日も仕事じゃないのか?」
確かに、明日は一本仕事が入っていた。でも……。
「仕事です。でもせっかく久しぶりにやっと逢えたのに、このままさよならなんて……。もっと、もっと貴博さんと一緒の時間を過ごしたいんです」
口を突いて出た言葉は、とても自分が言っているとは思えないほど、よく恥ずかしくもなく言えていると思う。だが、今は恥ずかしさより貴博さんとの時間がもっと欲しかった。
「君に明日仕事があるように、俺にも用事がある」
用事?
「その用事は、そんなに朝早くからあるんですか?」
「……」
まるで詰問するかのように言いながら、貴博さんに堪らず抱きついた。
「私は……私は貴博さんと一緒には暮らしていないから……」
すると、抱きついていた私を貴博さんが両肩を掴んで引き離した。遠回しにミサさんの事を示唆している事に貴博さんは気づいたのだろう。
「また連絡する」