「ジャケット着ないで大丈夫? 急いでないから、取ってきたら?」
「いえ、寒くないので大丈夫です」
先ほどから興奮しているせいか、暑いぐらいでまったくジャケットの事など頭になかった。まだ14時だし、日だまりの中にあって暖かい。
「そう。それじゃ、行こうか」
「はい」
貴博さんとマンションを出て歩き始めたが、私自身もここら辺の事はあまりよくわかっていなくて、取り敢えず毎朝走っているコースならわかるので、その事を話すと貴博さんもそのコースを歩いてみようと言ってくれたので、私のジョギングコースを今二人で歩いている。
「毎朝、走っているんだ」
「はい……」
「偉いね」
景色を見ながら歩いていた貴博さんが、私を見て微笑んでくれた。
気恥ずかしさから下を向いてしまったが、貴博さんに褒められた事が凄く嬉しかった。貴博さんに聞いたミサさんの人一倍影で努力していた話。あの話を聞いた翌日の朝からジョギングを始めた。ジムに通いたいとも思っていて、今はそのジムを探している。自宅から近いところを選びたいと思っているが、そこだと年会費が少し高い。電車に二駅ほど乗った所にあるジムは自宅近くのジムより年会費が一万円も安い。近さを取るか、安さを取るかで今悩んでいるところだ。到底、ミサさんに勝てるとは思えないけれど、努力する事だけは負けたくはなかった。貴博さんだって公認会計士になる事を目標に、日々、努力しているのだ。私だってそんな貴博さんを見習って一緒に自分の目指す目標に向かって、少しでも近づきたいと思っている。
「朝、走ると一日、何か爽快でいられるよな」
もしかして……。
「貴博さんも、走ってるんですか?」
「ん? あぁ、まぁね」
どうしてだろう。貴博さんは、自分の事を殆ど語ろうとはしない。けれどそれは聞かなくとも良い事でもあるけれど、決して自分の事をひけらかさない。そこがみんなから好かれる要因なのかもしれないな。
「どのぐらいの距離を走っているんですか?」
「どのぐらい? そうだな……その日にもよるけど、だいたい毎朝5キロぐらいかな。時間のない時は短くなるし」
という事は、時間のある時はもっと走ってる事もあるのだろうな。
「そうだったんですか。私もそのぐらいかもしれません。正確にはわからないんですけど……」
「距離ではないと思うよ。まぁ多少は身体を鍛えるのに距離も重要なのかもしれないけれど。継続は力なり。まずはこのいちばん簡単そうで難しい壁を制覇しなければ、何事も続かないからね。」
「そうですね」
貴博さんの口から発せられる言葉には、常に言葉の裏に隠された大切な事を気づかせてくれる。忘れていた事、忘れかけていたもの、そのすべてがカンフル剤となって私に力を与えてくれている。きっと身近に感じられるもっと前から、何気ない会話の中でも貴博さんはいろいろな言葉を発信してくれていたのだろう。ただ、その言葉の裏に隠された大切な事に、昔の私は気づけなかっただけ……。


