「その昔、君が小さい頃の話は、よく門倉君からよく聞かされていた。そして時を経て、君が偶然にも私のゼミに入ってきてからは、今度は私が門倉君に君の近況を伝えていた」
「私の近況を……ですか?」
伯父さんに、何故俺の近況を伝える必要があったのか。その伯父さんも、昔、何故俺の小さい頃の話をしていた?
「訳あって、君の前では伯父さんと名乗っていた門倉君は、君の本当の父親だからだよ」
伯父さんが、俺の父親?
教授に集中させていた視線を、隣に座っている俺の目の前に居る伯父さんに移しながらも、頭の中では拙速な結論付けはするまいと、必死にこの部屋に入ってからの事と、遠い昔の出来事とを整理していた。
「貴博のお父さんは、お仕事があって会う事が出来ないの」と、子供騙しの文句を信じて片付けられていた幼い頃、時々、姿を見せていた伯父さん。あれは多分、一ヶ月に一度ぐらいだったのだろうか。そして、その子供騙しが通用しなくなった年齢になった俺に、お袋は父親とは俺が生まれて間もない頃で、兄の樹が六歳の時に別れたと告げられた。兄貴にその事を尋ねると、父親という人は殆ど夜遅くならなければ家には帰って来ず、家を空ける事も多く、お袋はいつも寂しそうにしていたという事だけ教えてくれて、父親と呼ぶに値しないと。幼いながらに俺は憎んでいたので、二度と会うつもりはないと吐き捨てるように言っていた。恐らく、兄貴は子供ながらにお袋の事を守りたいと思ったのかもしれない。そしてそのお袋を泣かす男など、父親などではないと……。だからだろうか。伯父さんが家に来た時は、必ず兄貴はお爺さんの家に遊びに行っていたか、塾か部活で帰りが遅かった覚えがある。だが、戸籍というものだけはどんなに取り繕ったところで、時に嘘はつけない証拠として突きつけられる。車の免許を取ろうとして本籍地記載の住民票を取りに行った時、ふと区役所の中で戸籍という文字を目にし、来たついでに自分の戸籍を見てみたくなって、聞けば本籍地が現住所と同じだったのですぐに戸籍謄本も抄本も取れると言われ、家族全員のものをこの際なら見てみたいとの軽い気持ちで戸籍謄本を取ってみると、母親の欄は高橋純子と記載があったが、父親の欄は空欄になっていた。勿論、兄貴の父親の欄も同じく空欄だった。18歳になっていた俺は、その空欄が意味する事を十分理解し得ていたが、お袋に問い質す事はせず、ただ兄貴と俺には最初から父親の存在はなかったのだという事と、お袋は離婚したのでなく、別れたと言った言葉の裏に隠されていた事実をその時知ったのだった。


