「そう……」
するとお袋は立ち上がって、後ろのキャビネットの下段から何かを持ち上げるようにして取り出した。
日本酒?
持ち上げるようにして取り出してきたものをテーブルの上に置いた、立ったままのお袋の顔をまじまじと見ると、目が合った俺に構うことなく一升瓶の封を切り、先ほど持ってきていた2個のグラスに同じぐらいの量をそれぞれに注いだ。
「飲みなさい」
「何?急に……。俺、日本酒は飲めないの知ってるだろ?」
「男がお酒の種類によって飲めるとか飲めないとか、世界の狭いこと言わないの。いい?今日は、あなたの将来の話をするのよ。そのためにも飲みなさい」
無茶苦茶な理論だ。飲めないとわかっていて、何故日本酒を俺に飲ませようとするんだよ。
「別れた理由は、二人の間のことだからとやかく言わないわ。でも貴博。あなたは今、後悔してるでしょう?」
聞き流そうとしていたお袋の説教じみた言葉の中の、後悔という二文字に反応して、グラスに注がれた少しだけ黄色を帯びた日本酒の液体を見ていた俺は、お袋に目をやった。
「図星のようだわね」
「何が言いたいんだよ」
後悔……。
その二文字で片付けられるものならば、どんなに楽だろう。
懺悔、自責、疑心。卑下する言葉を幾つ並べても足りないぐらいだ。
すべて俺の男としての甲斐性がないが故、言わせてしまった結末の言葉。
「別れましょう」
「何故? どうして急に……」
「他に好きな人が出来たの。女は先を見て、守りの姿勢を本能でとるものなの。今の貴博に、私のすべてを守れる度量がある?」
「それどういう意味だよ?ゴメン……。俺、上手く理解出来ない」
ミサと俺が別れる。他に好きな人が出来たって……。
?だろう?
ミサ、?だと言ってくれ。きつい冗談だと……。
「貴博」
エッ……。
ハッキリと、まるで昨日の出来事のような会話を思い出していた。
「私は、貴博をそんな男に育てた覚えはないわよ」
お袋。
「わかりもしないで、勝手なこと言うなよ」
無性に親面するお袋に腹が立ち、否、本当はその言葉が全て。当たっているが故に、自分で自分に腹を立てていたのかもしれない。
目の前にあったグラスの中に入っていた、飲めないはずの日本酒を力と勢いに任せ一気に飲み干した。
ここ三ヶ月ぐらいの俺は、自分を分析しつつ冷静に考えれば考えるほど、この別れは俺のためにあったのだと……。
大学を辞めて働く決心を固めていた俺を、彼女は反対していた。それは俺の将来を憂いていたからだろう。そんな俺を見ながら苦しみ、辛そうな表情を浮かべていた彼女を、俺は何度も見て見ぬふりをしていたんだ。
彼女の出した結論を、俺は心のどこかで薄々気づいていた。いつか、こんな日が訪れるのではないかと……。だからいつも俺はすべてのことに急いでいて、彼女はそんな俺の腕を引っ張り微笑みながら、「焦らないでいいの」と諭してくれていた。
それなのに、そんな彼女の気持ちに気づきながらも何も出来ず、止められなかった非情で卑劣で卑怯な俺。
きっと、もう全うな恋愛など出来ないだろうな。
「貴博、愛してる?」
「もちろんだ」
到底、叶わない願い。
願わくば、あの頃に戻りたい。
けれど、もう……。
ミサは、それから間もなく結婚した。俺ではない……別の男と……。
いつしか日本酒であることを忘れ、水のように彼女の笑顔が脳裏に浮かぶたび、グラスを煽っていた。