新そよ風に乗って ① 〜夢先案内人〜


「副社長夫人に対し、会社として民事訴訟を起こすということの決議を明日の臨時取締役会で採択しようと思いまして」
社長の隣に座った会長の表情を窺うと、少し眉間に皺を寄せたがそれもすぐに元の表情に戻し、一つ、一つ整理するかのように、黙ったまま何度も頷いていたが、その後、すぐに俺の顔を見た。
「会社が大きくなればなるほど、善し悪しに関わらず顔ぶれも多士済々になる。しかし、その秀逸を極める者達が群雄割拠の如く振る舞っていては、何の利潤ももたらさないという事だ」
会長。
「明日。その人間の醜い部分の膿を出すとするか、社長」
「よろしくお願いします」
「念のため、弁護士にも話しを通しておいた方が良い」
「承知しました」
会社のトップの会話を聞きながら、己の置かれた立場と共に、何としてもこの新生三カ年計画を成功させたいという思いが一段と増していた。

そして迎えた緊張の朝。普段よりも早い八時半から臨時取締役会が開かれ、その場に俺も出席するようにと社長から言われ、次々と会議室に入ってくる取締役の顔ぶれを、固唾を呑みながら片隅で見守っている。どのようにして社長が口火を切るのかと、昨夜はいろいろなパターンを想定しながら眠りに就いたのだが、それはあまりにも唐突だった。
「おはようございます。早朝からお集まり頂きまして恐縮です。それでは全員お揃いのようですので、始めさせて頂きます。社長。よろしくお願い致します」
議事進行係の秘書室長の声に、雑談をしていた取締役の声がピタッと止み、全員、社長の方へと視線を向けた。
「おはようございます。緊急に早朝から皆さんに集まって頂いたのは他でもない、昨日より独立採算制を導入しているトラベルフーズの株を、副社長夫人名義で大量に買い占められているという事態に、我が社として副社長夫人に対し、民事訴訟を起こすという件についての議決をただ今から行う」
社長の言葉は、幾らかの猶予も与えないと言わんばかりの断言とも取れる言い方だった事もあり、各取締役は両隣の取締役同士と驚愕の声を上げながら会話を始め、会議室内はしばし喧騒に包まれた。しかし、その喧騒をも静寂へと変えたのは、副社長の声だった。
「正規のルートで株を取得している妻が、どうして訴えられなければならない。そんな論理は通用しないどころか、社内のゴタゴタを世間に公表して何の得になる。社のイメージダウンにしかならないだろう」
あまりの副社長の剣幕に、顔を引きつらせる取締役も居て、誰がこの収拾を付けるのかといった怪訝そうな表情を浮かべている。そして、何故か副社長と視線が合い、そのまま視線を逸らせずに居ると、副社長は俺を指さした。
「どうせまた、そこら辺に居る若造の陳腐な入れ知恵だろう」
吐き捨てるように言われたが、憤るどころか、俺にはその光景が滑稽に見えていた。果たして、自分の妻に株を買い占めさせたところで、何が残るというのだろう。たとえトップの座を得たとしても、ダーティーなイメージは拭い去れない。それも、一生……。
「それは、どうかな?」
「どういう意味ですか。会長」