新そよ風に乗って ① 〜夢先案内人〜


「……」
「貴博……さん」
何故、貴博さんは何も言ってくれないの?
「貴博さん」
「……」
前なら、「はい。何でしょう?」と、悪戯っぽく笑いながら返事をしてくれたのに……。
「貴博さん。私……」
「こんばんは」
「こんばんは。急に、貴博さんの声が聞きたくなっちゃって。アッハ……。もう寝てました?」
「今、歩いてる」
歩いてる? こんな夜中に? もしかして、ミサさんとウォーキング?
「酔ってるのか?」
「はい。お酒飲んじゃいました」
「今、何処だ?」
貴博さん……。そんな心配そうな声出さないでよ。
「嫌だ、貴博さん。もう家ですよ。そんなことより、貴博さん。歩いてるって、ミサさんとウォーキングですか?」
何で貴博さんに、こんなこと言い出しているんだろう。
「……」
「もしかして、当たりですか?」
「悪い。用がないなら切るから。それじゃ」
「あっ、貴博さん。待って! 切らない……」
左耳に、無機質な通話が切れた音が大きく響いた。「ミサさんとウォーキングですか?」などと、聞いてしまって……。貴博さんを怒らせてしまった? せっかく貴博さんが電話に出てくれたのに酷いことを言って、また傷つけて……。もっと、他に話したいことが沢山あった。ミサさんのことなど引き合いに出したりして、どうかしてる。こんなことなら、電話なんてしなければ良かった。開いたままになっていた手帖を見ながら、居たたまれなくなってペンを走らせる。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
泣き濡れたまま寝てしまったため、翌朝の肌の調子も浮腫も見られたものじゃなかった。迎えに来たマネージャーもあまり顔に出さない人だが、流石にボサボサの髪に酷い顔の私を見て、怪訝そうな表情を浮かべているのがわかる。早朝から外での撮影だったが、朝方から降り出していたらしい生憎の雨模様で小雨になれば撮影出来るとの指示に、暫く撮影場所のすぐ近くに用意されていた貸し切りのショップで待機することになった。温かいコーヒーを飲みながら窓際に座って、外の景色をボーッと眺めている。グレーがかった空から落ちてくる幾重にも重なった雨粒が地面を濡らしていく様は、まるで今の自分と同じ。グレーになった心色。泣き出した雨が止むことは、あるのだろうか。眩しいほどの澄み切った鮮やかなブルーの空のように、心が晴れ渡る日はもう来ないかもしれないな。