ようやく彼に腕時計を返すことが出来て、一安心……。

きっともう彼と会うことなんてないんだろうな、なんて思う。

そうするとなぜだか胸の辺りがもやもやとして、私は思わず首を傾げた。


「……野村さん? どうかしましたか?」


後輩の若月ちゃんが、隣で心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

しまった、仕事中だった。

私は「ごめん、なんでもない。大丈夫」とにっこり微笑んで見せ、いつも通り“仕事の出来る先輩”を装ってみせる。


本当の私は、誰かと比べて特別に仕事が出来るわけじゃないと思っている。

それしか出来るものがないから、必死にそれをこなしているだけだ。

けれどそんな必死さを表に出すのは少し恥ずかしい気がして、なんとか涼しい顔をして頑張っているのだ。


それを貫き通すのは決してラクではないけれど、私は今日も“仕事の出来る女”の仮面を被る――。



――彼と連絡先を交換して、二週間が経った。

いつでも連絡していいよ、なんて言われたけれど……理由もなく連絡なんか出来ない。

だからきっと一生彼に連絡する日なんか来ないんだけど……。

私はスマホを開いて『メープルくん』と表示されている画面を見つめたまま、ため息をついた。

そう、彼の名前を思い出せないから、苦し紛れにスマホに登録した名前は、昔実家で飼っていた犬の名前だった――。