私の中にはまだ彼が生きている。あの時の私を救ってくれた彼が。もう誰にも頼らない。自分自身の力で生きていく。そう誓って一生懸命頑張ってきた。なのに、なんでこんなことになったのだろう。そんな私の気持ちとは裏腹に、春の陽気な雰囲気が露わになってくる。私を嘲笑うかのように風が颯爽と吹き抜けていくのを感じると、世界はこんなにも残酷なのか、とまたも私は絶望する。彼のいない今、世界の全てが敵のように思えてくる。また、彼に会いたい。
眼前に広がる緑の平野と佇む古小屋。それはもう何十年も雨風にさらされているのだろう。それらを囲むように聳え立つ山脈。それらの手足が複雑に交わり、同じ母なる海をめざす。どんなに幼い流れも全てが一つにまとまる。一度は喧嘩して離れ離れになってもいつかは仲直りして一つになる。川はまさに人生と言えよう。大地が海へ赴くために自身を削ってできた川。時に緩やかに、時に激しく。向かう先は全てを受け入れる海。
眼前に広がるいつもと変わりない景色。もう何十年、何百年もここでじっとしている。それでも山々に囲まれた平野は美しい。そこを流れる小川を見ていると人間を思い浮かべてしまう。私の中を次々と入れ替わる人間。長い間居るものもあれば極短期間で居なくなるものもある。人の流れというものは川の流れによく似ている。川のせせらぎと一人というのはどちらも流れの一部。またどちらも流れに緩急がある。そして流れは他の流れと交差し、大きくなる。
私はこれまで何をしてきたのだろうか。人がなかなか集まらない路上ライブを一年は続けている。近所の公園では純粋無垢な子供たちが元気にはしゃいでいる。そんな子供達を眺めていると、ふと私の幼少期を思い出してしまう。
小学生の頃、私は今よりもっと健康で、元気で、華やかで、楽しかった。友達もたくさんいた。いろんなことをして遊んだ。仲の良い友達と音楽を嗜んだこともある。私はギターが弾けた。悩めるときも、悲しい時も、嬉しい時も、時間をともにしてくれる友人がいた。私はそれが普通だと思っていた。けれどそれはあまりにも美しく、そして残酷なものだと、今の私は感じている。私が変わってしまったのは中学校に入ってからだろう。親の仕事の都合で私は隣の県の中学校に入学した。今まで運よく良い友達に恵まれていた私は、見知らぬ人でいっぱいの風景に怯えてしまっていた。親には、普通に過ごしていればいい友達ができると言われたが、私はそうは思えなかった。クラスではいつもひとりぼっちで陰気な私を揶揄うものが出てきた。今までそういった経験のない私は誰にも言えずに一人で抱え込んでいた。そんな生活が続いたが、2年生に昇級する時、親が私を元の中学校に転校させると言い始めた。先生から何か聞いたのだろうか、私にはわからなかったが、小学生の頃の友達に会えると思った私はとても喜んだ。しかし、現実はそんなに甘くなかった。長い間いじめに遭っていた私は元の生活への戻り方を忘れていた。小学生の頃のように気さくに話しかけてくれた子は多くいたが、私の雰囲気が大きく変わったことと、私がうまく喋れないことで、段々と友達は離れていってしまった。仲が良かった友達もこんなふうに消えていくんだと感じた私はこの世界に絶望した。私は私をこの絶望の底から救ってくれる人物を探し求めた。しかしそんな人物など容易く見つかるわけがなかった。
とある休日、私は家族に連れられて行きたくもない自然豊かな地へ旅行をした。特別家族と何をしたいわけでもなかったし、家族も忙しそうだったので、私は一人、旅館の外を探検した。久しく自然と触れていなかった私の心体は生命としての喜びを憶えた。自然に解放された私は今までになく自由奔放に森林を駆けた。全てを自然に委ねた。何も考えなくてよかった。本当に楽だった。気がつくと目の前には深緑の平原とそれを囲む山脈が広がっていた。サラサラと凪ぐ穏やかな小川。少し肌寒い気温を相殺してくれる暖かな陽光。ここに一生いたいと思えた。当時の私の荒んだ心を平らにならしてくれた唯一の存在。大地。その存在の強さをより一層私に深く刻んだものがある。平原の片隅に佇んだ古小屋だ。「それ」が私の視界に入った瞬間、私の視界は「それ」に支配された。「それ」がない世界は考えられなかった。私の唯一の居場所であり、絶望の底から引っ張り上げてくれる存在。ついに見つけた。私は彼に問いた。いつからここにいるのか。これからもここにいるのか。他に誰かいたのか、いるのか。彼からは何も聞こえなかった。当たり前だ。それでも私は彼がここに孤独でいると感じた。自分と同じ孤独を抱えるものの存在に心が震えた。唯一の私の心の拠り所が自分と同じ境遇にあった。私は嬉しかった。私は彼をもっと知りたかったので小屋の中に足を踏みいれた。そこには普通の山小屋が広がっていた。でも老朽化のせいか一箇所床板が外れる場所があった。しかしそこを開けてもなんともなかったので私は無視した。その日は日が暮れるまでそこで過ごした。帰り道は少し大変だったが彼に会う代償としては安すぎた。宿に戻ると父母はまだ忙しなく動いていた。流石にそのことが気になったので私は聞いてみた。すると私の叔父にあたる人が亡くなったそうだ。しかし私は面識がなかったのでなんとも思わなかった。
その後一週間程小屋に通い続けた。私の心は小屋へ行く度に滑らかに整えられていった。しかし転機は突如として訪れた。いつものように昼前に小屋に行った。しかしそこには普段は誰もいないのに警察などが捜査をしていた。私は呆然とした。何があったのか到底理解し兼ねた。普段は穏やかな自然がその日は荒ぶっているように感じた。その日は警察に追い返されたため小屋に入れなかった。次の日、いつもより早く宿を出た。いつもの場所へ行くと前日のように警察はいたが、いつもは見えるはずの「木板」が見えなかった。私はもっとよく見ようと辺りを見渡したが、見つけたのは変わり果てた小屋の姿だった。私の修復しかけの脆い心は完全に破壊された。もし荒んだ心のままでいたらこれほどまで苦しめられなかっただろう。私は私を恨んだ。自分が憎かった。もう何も信じられなかった。何も希望を持てなかった。当時の私は完膚なきまでに人格が壊れていたそうだ。何がそうしてしまったのか、どうしてそうなってしまったのか。私を診てくれた医者はその原因を探るのに相当な時間を要したようだった。というのも、あの凄惨な光景を見たあとからある程度心が修復するまでの記憶がないのだ。今こうして生きていられるのは彼がまた私の心の中に現れたからである。私の心は現実から目を背けあの「小屋」なる存在を擬似的に作り出したそうだ。確かに私の心の中にまだ彼は生きていると感じることができる。
後から聞いた話なのだが、中学2年生の頃私が転校させられた理由は母が私の祖父の看病をするためだったそう。そして祖父は多大な財産を保有していたのでその財産争いのためにあの小屋のあった地へ赴いたそう。そんな中私の叔父と父が兄弟で争った結果叔父が父に殺されてしまった。父はその遺体を森の奥にあるあの小屋に埋めたそうだ。私が見つけた外れかけの床板の下に。警察が調べるとそこには多く白骨が埋まっていて、昔から死体が遺棄が行われていた場所だそう。それを聞くと私があの小屋に孤独を感じたのは必然だと思われる。
私はあの凄惨な少年期を過ごして誓った。もう誰にも頼らない。自分自身の力で生きていく。でもこの現状に直面してまた彼に会いたいと、あの自然に身を委ねたいと、そう願ってしまうのは私が弱いからだろうか。いや、人は誰しも何かに全てを委ねたいだろう。裏切られることを理解っていながら。だって世界は残酷なんだから。
眼前に広がる緑の平野と佇む古小屋。それはもう何十年も雨風にさらされているのだろう。それらを囲むように聳え立つ山脈。それらの手足が複雑に交わり、同じ母なる海をめざす。どんなに幼い流れも全てが一つにまとまる。一度は喧嘩して離れ離れになってもいつかは仲直りして一つになる。川はまさに人生と言えよう。大地が海へ赴くために自身を削ってできた川。時に緩やかに、時に激しく。向かう先は全てを受け入れる海。
眼前に広がるいつもと変わりない景色。もう何十年、何百年もここでじっとしている。それでも山々に囲まれた平野は美しい。そこを流れる小川を見ていると人間を思い浮かべてしまう。私の中を次々と入れ替わる人間。長い間居るものもあれば極短期間で居なくなるものもある。人の流れというものは川の流れによく似ている。川のせせらぎと一人というのはどちらも流れの一部。またどちらも流れに緩急がある。そして流れは他の流れと交差し、大きくなる。
私はこれまで何をしてきたのだろうか。人がなかなか集まらない路上ライブを一年は続けている。近所の公園では純粋無垢な子供たちが元気にはしゃいでいる。そんな子供達を眺めていると、ふと私の幼少期を思い出してしまう。
小学生の頃、私は今よりもっと健康で、元気で、華やかで、楽しかった。友達もたくさんいた。いろんなことをして遊んだ。仲の良い友達と音楽を嗜んだこともある。私はギターが弾けた。悩めるときも、悲しい時も、嬉しい時も、時間をともにしてくれる友人がいた。私はそれが普通だと思っていた。けれどそれはあまりにも美しく、そして残酷なものだと、今の私は感じている。私が変わってしまったのは中学校に入ってからだろう。親の仕事の都合で私は隣の県の中学校に入学した。今まで運よく良い友達に恵まれていた私は、見知らぬ人でいっぱいの風景に怯えてしまっていた。親には、普通に過ごしていればいい友達ができると言われたが、私はそうは思えなかった。クラスではいつもひとりぼっちで陰気な私を揶揄うものが出てきた。今までそういった経験のない私は誰にも言えずに一人で抱え込んでいた。そんな生活が続いたが、2年生に昇級する時、親が私を元の中学校に転校させると言い始めた。先生から何か聞いたのだろうか、私にはわからなかったが、小学生の頃の友達に会えると思った私はとても喜んだ。しかし、現実はそんなに甘くなかった。長い間いじめに遭っていた私は元の生活への戻り方を忘れていた。小学生の頃のように気さくに話しかけてくれた子は多くいたが、私の雰囲気が大きく変わったことと、私がうまく喋れないことで、段々と友達は離れていってしまった。仲が良かった友達もこんなふうに消えていくんだと感じた私はこの世界に絶望した。私は私をこの絶望の底から救ってくれる人物を探し求めた。しかしそんな人物など容易く見つかるわけがなかった。
とある休日、私は家族に連れられて行きたくもない自然豊かな地へ旅行をした。特別家族と何をしたいわけでもなかったし、家族も忙しそうだったので、私は一人、旅館の外を探検した。久しく自然と触れていなかった私の心体は生命としての喜びを憶えた。自然に解放された私は今までになく自由奔放に森林を駆けた。全てを自然に委ねた。何も考えなくてよかった。本当に楽だった。気がつくと目の前には深緑の平原とそれを囲む山脈が広がっていた。サラサラと凪ぐ穏やかな小川。少し肌寒い気温を相殺してくれる暖かな陽光。ここに一生いたいと思えた。当時の私の荒んだ心を平らにならしてくれた唯一の存在。大地。その存在の強さをより一層私に深く刻んだものがある。平原の片隅に佇んだ古小屋だ。「それ」が私の視界に入った瞬間、私の視界は「それ」に支配された。「それ」がない世界は考えられなかった。私の唯一の居場所であり、絶望の底から引っ張り上げてくれる存在。ついに見つけた。私は彼に問いた。いつからここにいるのか。これからもここにいるのか。他に誰かいたのか、いるのか。彼からは何も聞こえなかった。当たり前だ。それでも私は彼がここに孤独でいると感じた。自分と同じ孤独を抱えるものの存在に心が震えた。唯一の私の心の拠り所が自分と同じ境遇にあった。私は嬉しかった。私は彼をもっと知りたかったので小屋の中に足を踏みいれた。そこには普通の山小屋が広がっていた。でも老朽化のせいか一箇所床板が外れる場所があった。しかしそこを開けてもなんともなかったので私は無視した。その日は日が暮れるまでそこで過ごした。帰り道は少し大変だったが彼に会う代償としては安すぎた。宿に戻ると父母はまだ忙しなく動いていた。流石にそのことが気になったので私は聞いてみた。すると私の叔父にあたる人が亡くなったそうだ。しかし私は面識がなかったのでなんとも思わなかった。
その後一週間程小屋に通い続けた。私の心は小屋へ行く度に滑らかに整えられていった。しかし転機は突如として訪れた。いつものように昼前に小屋に行った。しかしそこには普段は誰もいないのに警察などが捜査をしていた。私は呆然とした。何があったのか到底理解し兼ねた。普段は穏やかな自然がその日は荒ぶっているように感じた。その日は警察に追い返されたため小屋に入れなかった。次の日、いつもより早く宿を出た。いつもの場所へ行くと前日のように警察はいたが、いつもは見えるはずの「木板」が見えなかった。私はもっとよく見ようと辺りを見渡したが、見つけたのは変わり果てた小屋の姿だった。私の修復しかけの脆い心は完全に破壊された。もし荒んだ心のままでいたらこれほどまで苦しめられなかっただろう。私は私を恨んだ。自分が憎かった。もう何も信じられなかった。何も希望を持てなかった。当時の私は完膚なきまでに人格が壊れていたそうだ。何がそうしてしまったのか、どうしてそうなってしまったのか。私を診てくれた医者はその原因を探るのに相当な時間を要したようだった。というのも、あの凄惨な光景を見たあとからある程度心が修復するまでの記憶がないのだ。今こうして生きていられるのは彼がまた私の心の中に現れたからである。私の心は現実から目を背けあの「小屋」なる存在を擬似的に作り出したそうだ。確かに私の心の中にまだ彼は生きていると感じることができる。
後から聞いた話なのだが、中学2年生の頃私が転校させられた理由は母が私の祖父の看病をするためだったそう。そして祖父は多大な財産を保有していたのでその財産争いのためにあの小屋のあった地へ赴いたそう。そんな中私の叔父と父が兄弟で争った結果叔父が父に殺されてしまった。父はその遺体を森の奥にあるあの小屋に埋めたそうだ。私が見つけた外れかけの床板の下に。警察が調べるとそこには多く白骨が埋まっていて、昔から死体が遺棄が行われていた場所だそう。それを聞くと私があの小屋に孤独を感じたのは必然だと思われる。
私はあの凄惨な少年期を過ごして誓った。もう誰にも頼らない。自分自身の力で生きていく。でもこの現状に直面してまた彼に会いたいと、あの自然に身を委ねたいと、そう願ってしまうのは私が弱いからだろうか。いや、人は誰しも何かに全てを委ねたいだろう。裏切られることを理解っていながら。だって世界は残酷なんだから。

