寄り道をしなければ六時過ぎに帰宅。夜ご飯の支度にかかり、だいたい七時から八時の間にお父さんが帰ってくる。現場によって時間はまちまちだ。お酒好きでも、遅くまで呑んでくるのは週末くらいだった。

「オッ、今夜はすき焼きかー」

「すき焼き風」

「肉なんかナンだってうめーんだよ。ビール、ビール!」

今年で四十九歳。短く刈り込んだ髪は、いつの間にか白髪が交じるようになった。大病ひとつしない元気者だから、勝手に歳を取らない気がしていた。

割りしたが染みた肉とネギを小皿に取り分け、お母さんの写真の前にも供える。それから二人で『いただきます』をするのが我が家の決まり事。

お母さんがあっけなくこの世を去ってしまったのは、わたしが小学四年生の時だ。よそ見運転のトラックに追突され亡くなったそうだ。

朝、学校に行くまであった笑顔が突然なくなって。ただ泣き続けるわたしの手を握り、片時も離れなかったのは中学生の宗ちゃんだった。お葬式の記憶は飛び飛びだけど、今もそれだけは忘れない。

示談も応じ、お父さんがお墓の前で追突した運転手への恨み言を吐いたことはない。『しょうがねぇやな』が口癖だった。起きてしまった不幸を受け容れて娘と二人、前に向かって進むための呪文だったのかもしれない。