ここから、私の思い出について語ろう。
まず、私の1番古い記憶は、
母親に寝かしつけられている時に見た母。
ベッドだったのか、
それともリビングの座布団でだったのか、
何歳頃の事なのか、
その時母がどんな顔をしていたのか。
細かいことは全く覚えていない。
ただ、幸せだと感じたことだけを覚えている。
その次に古い記憶は、
仕事終わりの父親に肩車されながら近所を散歩し、夕焼けを見たこと。
確か夏だった。
1日中、雨が降っていたのに、
父親が帰ってきた途端に雨が止んだ。
夜ご飯ができるのを待っている間父が
「虹できるかもね」
などと言ったのだろう。
そして幼い私は「虹」という言葉に興奮し、
見たいとせがんだ。
もしかしたら見たいと泣きわめいたかもしれない。
父親はそんな私を連れて、
なんの用もない最寄り駅まで歩いた。
最寄り駅で肩車をしてもらって虹を探した。
虹は見れなかった。
ただの夕焼けだった。
それなのにいつもより綺麗で、
10年以上たった今でも記憶に残り続けている。
父の頭の上からの高い目線で見る夕焼けが
あの頃の私にはよほど衝撃的だったのだろう
この記憶の中の私はきっとみんなから愛されていた。
母親からも、父親からも、
祖父からも、祖母からも、
色々な人から愛されていただろう。
でも今の私は愛されているということを
どうしても認められない。
心が壊れてしまったから。
その原因は両親、家族にあると感じているから。
まず、私の1番古い記憶は、
母親に寝かしつけられている時に見た母。
ベッドだったのか、
それともリビングの座布団でだったのか、
何歳頃の事なのか、
その時母がどんな顔をしていたのか。
細かいことは全く覚えていない。
ただ、幸せだと感じたことだけを覚えている。
その次に古い記憶は、
仕事終わりの父親に肩車されながら近所を散歩し、夕焼けを見たこと。
確か夏だった。
1日中、雨が降っていたのに、
父親が帰ってきた途端に雨が止んだ。
夜ご飯ができるのを待っている間父が
「虹できるかもね」
などと言ったのだろう。
そして幼い私は「虹」という言葉に興奮し、
見たいとせがんだ。
もしかしたら見たいと泣きわめいたかもしれない。
父親はそんな私を連れて、
なんの用もない最寄り駅まで歩いた。
最寄り駅で肩車をしてもらって虹を探した。
虹は見れなかった。
ただの夕焼けだった。
それなのにいつもより綺麗で、
10年以上たった今でも記憶に残り続けている。
父の頭の上からの高い目線で見る夕焼けが
あの頃の私にはよほど衝撃的だったのだろう
この記憶の中の私はきっとみんなから愛されていた。
母親からも、父親からも、
祖父からも、祖母からも、
色々な人から愛されていただろう。
でも今の私は愛されているということを
どうしても認められない。
心が壊れてしまったから。
その原因は両親、家族にあると感じているから。