「あ」

家事を始めようとした時、斗真さんのスマホがダイニングテーブルに起きっぱなしになっていることに気づいた。

どうしよう。プライベート用とはいえ、ないと困るんじゃないかな。

少し逡巡したけど、会社まで届けることにした。


マンションから本宮ホールディングスのオフィスビルまでは、電車で15分。最寄り駅からは歩いて10分ほどの距離だ。

斗真さんは忙しくて直接会うことはできないだろうから、受付の人にお願いして渡してもらおうと思いながら会社の手前まできたとき。

男女の言い合う声が微かに聞こえて、声のほうに何気なく目を向けた。

駐車スペースに停められた一台の黒いセダンが目に飛び込んできてドキッとした。

見慣れたその車は、斗真さんのもので間違いない。

車内には斗真さんと、俯き加減で泣いている女性の姿がある。

あれは……春海さん?

少し開いた窓からかろうじて声が聞こえてくる。

「もう私のこと好きじゃないの?ひどい!ずっと一緒だったのに!」

「落ち着けって」

聞こえた会話に、ハッと息を呑んだ。

ハワイで電話越しに聞こえた声……あれは春海さんだったのだ。

最初に春海さんに会った時に既視感を感じたけど、オープンキャンパスで見かけたのもきっと春海さんなのだ。

斗真さんと両思いだと知って浮かれていて、『彼女』のことについて聞くのをすっかり忘れていた。