「……ここがあの有名な七海学園高校……」






 私はそびえたつ立派な建物を前に、ごくりと生唾を飲み込んだ。


 てっぺんに大きなウェディングベルが印象的なこの学園は、巷で有名な一攫千金婚校。

 
 マッチングシステム”デステニー”で運命の相手を探し出して、三年間の「同棲」の末に
金の夫婦の卵を探し出す最新の恋愛高校だ。




「こんなところに入れだなんて、うちのマネージャーも変わってるよね……」



 
 はぁ、と一つため息をついて、私はキャリーケースのハンドルを握りなおした。




 私は女優「ちなつ」改め、愛海 千夏。


 天才子役としてデビューしてから早13年、廃れることもなく世間で愛されてきた私は、
今では毎週どこかしらのドラマには出演している売れっ子だ。



 まぁ、自分ので言うのもなんだかな、とも思うけど。
実際売れているものは売れているのだから、あまり自分を卑下しないのが私のモットー。




 ……と、それは置いておいて。
なんでそんな忙しい私がここにいるかというと、話は数か月前に遡る―――






        §§§§§§





「えぇ!? あの七海学園に書類応募したぁ?!」






 ドラマの撮影を終え、手作りのサラダチキンを箸でほぐしていた私は、向かい側に座って
いたマネージャー、松本さんの言葉に思わず耳を疑った。

 
 ばっと顔を上げると、すました顔で彼女は麦茶のペットボトルに口をつけていて、余計に
 私は混乱してしまう。


 松本さんは仕事のできるしっかり者の女性だ。いつも髪はポニーで後ろでシンプルにまと
め、朗らかな表情が印象的。

 でも、なんだか今日の松本さんはいつもと違って引き締まった表情をしていた。



 ……って、それは置いておいて。
 
 ……え、ちょっと待って。そんな話聞いてないし……っていうか、七海学園ってカップルをき、
決められちゃうところだよね?



 私、まだ彼氏ができたことないのに、なんでそんなこと急に……!?



 狼狽しながらチキンを飲み込む私に応えるように、松本さんは真剣な表情で口を開いた。





「えぇ。千夏にはスキャンダルを起こさせないように、と事務所直々の命令で。成績も
 申し分ないし、このまま試験さえ受かれば晴れて高校生活スタートよ」
 

「……え、何、で……? スキャンダル? 私、不純異性交遊なんてしたことないよ?」


「わかってる、千夏がそんな子じゃないのは。そうじゃなくて、私たちは千夏が変なことに
巻き込まれないように先手を打っておこうと思ったのよ」


「先手?」





 私が松本さんの言葉に首をかしげると、彼女は少し表情を和らげてうなずいた。




「千夏の可愛さはみんなが知ってるから、急に彼氏なんてできたらみんながびっくりしちゃうでしょ。
それに、そのことに対して悪質ないたずらが起こってしまうかもしれないっていうのは、あなたが一
番わかってるでしょう?」

「っ―――」



 松本さんの言葉に私は肩をピクリと震わせた。

 過去、私は自分のことをやっかむ人から酷い嫌がらせを受けたことがあった。

 多分、松本さんはその時のことを言っているのだと思う。

 芸能界では、スキャンダルは一番の餌。それにつられて彼女たちがやってくると
いうことを松本さんは……



 『××××××××!』

 『××××××××××××!』


 突然過去の記憶がフラッシュバックして、心臓がどくりと跳ねる。

 あの時の彼女たちの言葉が、雰囲気が、そして何よりあの冷たい瞳が私に向けら
れているのを全身で感じていたあの頃を。―――っ、思い出すと頭痛が……


 私が痛みに顔をしかめると、松本さんは慌てて話の続きを紡いだ。




「それに、不純異性交遊とか……そういうこと以前の話だけれど。彼氏の経験がない
千夏は、もしかしたら悪い男に引っ掛けられてしまうかもしれない」

「悪い……」

「あなたのことを貶めようとする輩は容赦してくれないわ。それにピュアなあなたが
引っかからないとは言い切れないから、そのリスクをなるべく減らしたいの」



 そういって私の手をしっかり握った松本さんは、どこか不安げな表情だった。

 ……この目は、私のことを心配してくれている。

 それがわかり、私は胸がぎゅうっと締め付けられた気がした。



「その分、この学園なら、デステニーによって千夏にぴったりな人を見つけられるし、
こちらも大々的に公開して、みんなにも隠し事がない状態になれるから。……いいでしょ?」


 ……そんな顔されたら、もう反論することはできない。

 過去にも散々迷惑をかけちゃったし、ここは従っておく方がいいかな。

 私がはい、とうなずくと、松本さんはぱっと表情を明るくした。




「いや~良かったわ、千夏が承諾してくれて。これで社長に怒られなくて済む~!あ
りがと!」


「……へ?」



 私は一瞬松本さんが何を言ったのかわからくて、呆けた声を出してしまった。


 今、松本さんなんて言った……?
 



「なんで、いま社長が出てくるの? 心配して入れようとしてくれてるのに、社長に
怒られる? え、どういうこと?」


「……言葉のままだけど?」


「え?」


「え?」



 私は先ほどのしっとりとした空気が一瞬で破られたのを感じて、軽く混乱状態に
陥った。

 ……さっきまであんなに瞳がウルウルしていたのに、今の松本さんはけろっとし
た表情を浮かべている。

 ……どういうこと?

 



 私が首をかしげるとやれやれ、というように松本さんは首を傾げる。


「やっぱり千夏はピュア……っていうかあほだよね」


「あ、あほ……!?」


 私が突然の罵倒に目を丸くすると、松本さんは私のチキンをひょいとつまみ食いし
ながら軽く笑う。



「いっとくけど、今の理由、半分くらい嘘だから」


「はい!?」


「ピュアだから心配しているのは本当よ。でも、普通は事務所から一々交際相手の制
限はしないわよ。まぁ、相手はある程度節度を持てる人かどうかは判断させてもらう
けど」


「……」



 いまだ話を飲み込めない私に、松本さんが面白げに口元を緩めながら続ける。



「本当のこと言っちゃうと、千夏に七海学園のイメージモデルをしてもらいたいって
オファーが来てたの。でも、写真だけ受けるっていうのは世間に不誠実だから、千夏
を入れちゃおうって社長が」



 ……えぇ……? 私、社長の手のひらで転がされてたってこと……?


 ……でもちょっと待って。


「私の意見は? 進路を決めるのに私の希望はどこに……?」


「どこも決まってなかったでしょう。ちょうどよかったじゃない」



 飄々とした表情で私の言葉に重ねた松本さんは、「さ、次の仕事の時間よ」と立ち上る。


 一方、私はまだ気持ちの整理がついていなかった。チキンを箸でつんつんつつきながら、
これ見よがしにポケ~っとしてみるけれど、松本さんが「冗談よ」といってくれる気配はない。


 と、いうことは。


 私、一瞬で高校の進路を強制的に決定されてしまったの……!?

 



「初めての彼氏は、自由に作ってみたかったのに……!!!!!」

「はい、じゃさっさと食べて次行くわよ~」



 私の叫びは、むなしく事務所に響き渡り消えていったのだった。





             §§§§§§







 ――――こういう訳で、私愛海千夏はこの度、この学園に入学せざるを得なくなってしまった。