あの日の救急車のサイレン音、病院でお母さんが先生達に囲まれている姿。ずっと頭にこびりついて離れない。
私は後悔してもしきれなかった。
私が持病なんか持っていない健康な子供だったら薬の固定費もいらなかったし、お母さんの負担も少なかったのは事実。
そんな自分の体を何回恨んだか分からない。
その後私は知らない大人達が決めた施設に入れられ、新しい暮らしが始まった。
親戚の家に引き取ってもらう選択肢もあったが、お葬式の時に私の押し付け合いをしている会話を聞いてしまった。
その時に初めてもう自分の味方はいないんだと思って絶望したのを覚えている。
どんな時でも自分の傍にいてくれて、味方でいてくれる人間がいるのは当たり前ではなくて、突然いなくなってしまうものなのだなと。
でも今考えると周りの大人達にも同情してしまう。
いきなり15歳の子供を引き取ってほしいと言われ喜んで"はい"と言う人はいない。
施設に入ってからも以前から施設にいた子達と上手くいかず、私はいつも一人だった。
学校のクラスメイトからは施設暮らしだという理由でなんとなく壁ができてしまったりして、年々友達は減っていって。
お母さんがいなくなってしまったことによって私自身が心を閉ざしていたからというのもあるけれど。
そのうち持病持ちの私を面倒くさい子供だと思う大人が増え、明らかに施設での私に対する対応が雑になった。
そんな中月に1回病院に通わなければいけなかった私は施設から近い病院に転院することに。