ふと実家の納豆が食べたいと思った。
3パック入りを2つ買ってきたやつ。
6パックを大きいボウルに入れてかき混ぜて、付属のタレ、醤油(麺つゆだったかな?)、卵入れていっぱいかき混ぜるの。
ママがご飯をあっためてその間にパパがそれやって、子供たちはよそったものを配膳したり納豆で出たゴミを回収したり⋯。
楽しかったな。

小さい頃はずっとその食べ方だった。
小学校2年位までは白米の日は普通の茶碗、納豆の日は小さな小さな赤ちゃん茶碗だった。
姉弟3人似たような茶碗で食べるのが楽しかった。
次第に成長した姉や兄は納豆の日も普通の茶碗になっていた。
年が経つにつれ私も普通の茶碗になった。
スプーンで食べなくなった。

いつからだろうか。納豆は全員個別になった。
きっと単純に洗い物の削減。
洗い物は姉の担当になっていたから。
でも我儘な私は寂しくて。不意に零した。
「前みたいに混ぜたやつ皆で食べたい。1人1パックは寂しい」
家族は笑っていた。しょうがないなぁと思っていただろう。
でも実際その後の納豆は皆一緒だった。
嬉しかった。
思えば以前は個別だったおかずも皆で1つの器からつつくようになったのは私の言葉だったっけ。
家族皆でシェアしている時がとても幸せなのだ。
家族で談笑しながら食べる事が何よりの幸せで、食事が唯一家族の集まる時間だから凄く楽しかった。
特番のドッキリ番組を見たり、バラエティーやクイズ番組を家族で笑いながら見ていた。
CMの時はその日の出来事を話したりあぁだこうだとよく会話した。