「え……猫……」

それよりもほぼ全身濡れてしまっているその人が、あたしは大丈夫か心配になる。まだ水も冷たい春の川。

しかし、心配もよそにその人は先ほどとは全然違う優しい顔で子猫に微笑むから、あたしはその笑顔につい見入ってしまった。

「……なに?」
「え! ……あ、大丈夫なんですか? 寒くない?」
「あぁ、ちょっと寒いな。でも大丈夫。じゃあ」

そう言ってその人は濡れたまま子猫を抱いて行ってしまった。

家、近いのかな?

あたしはポケットに入っていたタオルハンカチを思い出して、その人の後を追った。

「あの! これ、役に立つか分からないけど、使ってください。返さなくていいので」

あたしが差し出したタオルハンカチに、その人は無言で振り向いたかと思うと、そっと受け取ってやっぱりぎこちなく笑った。

「ありがとう」

そう言うと、すぐにスタスタと行ってしまう。

あたしはしばらくその人の姿を見つめていた。
ちょうど姿が見えなくなった頃に、後ろから呼ばれる声が聞こえて、振り向くと斜面の階段を下りてくる楓の姿を見つけた。

「やっぱここにいた!」

楓はそう言いながら、あたしに駆け寄ってきた。

「なんで楓はいつもあたしをみつけられるのー? あたし今までずっと楓のこと探してたんだよ」

半分諦めかけてたけど……。
と思ったけど、それを言う前に楓があたしの頭を優しく撫でて安心したように微笑むから、少し心配になる。

「どーしたの?」
「……はぁ。やっぱ俺は千夜と少しでも離れるとダメだわ。ごめんな、バイトのこと黙ってて」

楓はそう言って、階段を指差して「座ろっか」と階段に座った。

「入学前からずっと考えてたんだ。自分で何でもできるようにならないとって。いつまでも千夜の両親を頼ってられないし、俺が頼られるくらいにならないとって思ってさ。だから、とりあえず毎週日曜はバイト入れたから、千夜も見守っててよ」

そう言って微笑む楓がすごく大人びて見えて、あたしは楓が遠い存在になりそうな気がして少し胸が痛んだ。

「楓はカッコいいなぁ。あたしなんて、自分で精一杯だよ。楓が居ないと全然ダメ。ほんと、ダメだ」

あたしは膝を抱えてそこに顔を埋めた。

「千夜……」

楓がゆっくりあたしに手を伸ばしたのと同時に、あたしは勢いよく立ち上がった。

「よし! 決めた! あたし楓離れする!
頑張って、あたしも大人になるよ。だから安心して、楓! バイト頑張ってね! 応援するからっ」

やり場のなくなった腕を静かに下ろすと、楓はの一瞬考え込んだ。

「……ん? 今、俺離れ……って言ったか?」
「うん! よーし。ほらっ、帰ろう! ママにも報告しなくちゃ」
「ちょっと待て、俺今千夜と少しでも離れるとダメだって言ったんだけど……聞いてなかった?」
「だーいじょうぶだってば! 今まで通りでいーけど、あたしがもう少し楓を頼らないようにするって事だから」

能天気にあたしがケラケラと笑いながら歩き出すのを見て、楓は呆然と立ち尽くしていた。