「アルベール殿。よく来てくれた」



 エルヴィユ子爵家の屋敷に入ると同時にかけられた声に、アルベールは笑みを浮かべて軽く頭を下げる。
 「ごきげんよう、カルリエ卿」と言葉を返せば、カミーユの父である彼、バスチアンは、穏やかな表情でアルベールを客間へと案内した。

 今日は、国王主催の夜会が開かれるその当日である。珍しくカミーユが迎えに来てくれなかったのは、準備が忙しいためだろう。
 少しだけ残念ではあったが、仕方がないことだと、素直にバスチアンの跡を追った。

 普段カミーユと過ごすのによく使っている少人数用の客間には、すでに一人の男がくつろいでいた。窓辺に立ち、騎士たちが訓練する場となっているエルヴィユ子爵家の庭を眺めていたその男は、入ってきた客人に気付くと少し慌てた様子で姿勢を正し、頭を下げる。

 この国ではあまり目にすることがない黒い髪と、蒼い目。
 ああ、と思った。彼が誰であるのか、わからないはずもなかった。

 何せ夜会などでカミーユへと視線が奪われる時、必ず傍にいた青年だから。



「お二人は顔見知りでしたな。では、私は妻と娘たちを呼んで参りますので」



 そう言って、バスチアンは踵を返す。その背中を見送ってから、アルベールは客間の中へと足を踏み入れた。



「ごきげんよう、ヴィオネ卿。先日の、貴殿の屋敷で行われた夜会ぶりか」



 部屋に入ったアルベールは、普段自分が腰掛けている席に座りながら、窓辺の青年に声をかける。

 カミーユの元婚約者であり、彼女の妹、エレーヌの婚約者であるジョエル・ヴィオネは、ほっとしたように穏やかな笑みを浮かべて礼の形を取った。「ごきげんよう、ミュレル伯爵閣下」と。



「またお会い出来て光栄です。先日はご挨拶も出来ずに申し訳ありませんでした」



 彼はそう申しわけなさそうに言うが、彼と最後に顔を合わせたのは、彼らが婚約を解消し、そして自分がカミーユに求婚した例の夜会である。

 実はあの日、アルベールはカミーユに求婚した後、正式な求婚状を作るために早々に帰宅していた。そもそも、『アルベール・ブラン』としてカミーユと顔を合わせる機会があまりなかったため、その場で彼女が応じてくれるはずもないと理解していたから。