「私のことを忘れていても、構わない。私は覚えていたとしても、君にとっては他愛ない記憶だろうから。……それよりも、君には、今の私を知って欲しいと思う。私も、君のことをもっと知りたい」



 柔らかな表情でそう言われてしまえば、それ以上その思い出とやらを追及することは出来ず。胸の中にもやもやしたものを抱えながら、カミーユは自分でも分からない何かを誤魔化すように、淑女らしい笑みを浮かべて見せたのだった。

 アルベールとの時間は、いつも、そうやって穏やかに過ぎて行った。
 言葉を交わし、茶を呑み、本を読んで。特別に何をするでもなく、日常に少しずつ、彼の存在が溶け込んでいくような、そんな日々が続いて。
 彼がカミーユに求婚してきてから、もうすぐ二週間が経とうとしていた。

 アルベールはこの二週間近くの間、一日と空けずにエルヴィユ子爵家を訪れていた。花や菓子、ドレスや宝石、カミーユの趣味である、レース編み用のレースなど、毎日毎日、飽きもせずに何かしらの手土産を携えて。

 しかもその全てが高価で品が良く、カミーユの好みにぴったりだというのが、感心するのを越えて少々恐ろしかった。おそらく、身内の者が話したのだろうけれど。

 彼に会ってすぐに手の平を返した父はもちろんのこと、そんな父に話を聞いたのだろう母。加えて、最初はあれだけ反対していたエレーヌでさえも、今ではこの縁談に賛成していた。

 エレーヌは、カミーユに対するアルベールの特別扱いが気に入ったらしい。夜会では、無礼ではないものの、あれほどまでに無表情の仏頂面だというのに、カミーユの前では日々嬉しそうに表情を緩め、愛しそうに見つめる姿が良いのだとか。

 甘やかな小説を好む、夢見がちな少女らしい発想のようだった。
 アルベールが良い、というよりは、カミーユだけを見つめるアルベールが好ましいらしい。エレーヌ曰く、アルベール単体ならただの観賞用、という認識らしかった。



 だから、今度ジョエル様にも同じように、自分だけを特別扱いしてもらうのだとか言っていたわね。ジョエル様はお優しいから、応えてくれるでしょう。



 優しい元婚約者を巻き込んでしまったような申し訳なさを感じながら、カミーユは僅かに苦笑した。

 そういうわけで、エルヴィユ子爵家内で現在この縁談に反抗しているのは、当事者であるカミーユだけなのだった。いくら両親が配慮してくれているとはいえ、貴族の結婚は、必ずしも本人の同意が必要なわけではないということを、カミーユ自身も分かっている。