アルベール・ブラン。ベルクール公爵家の嫡男であり、ベルクール騎士団の団長。戦争の英雄。人々は彼を、敬意をもって英雄閣下と呼ぶ。
 銀色の長い髪に、王家の血筋であることを示す、深い藍色の瞳。その人並外れた美貌に、剣を手にすれば右に出る者はいないと言わしめるほどの腕前。夜会に出れば、彼に声をかけてもらおうという令嬢たちが列を生す。そんな男である。



 そんな人が、なぜ。



 それ以外に、頭の中をめぐる言葉などなかった。おかげで昨夜も、集まっていた紳士淑女の皆々様方が、普段の淑やかな様子をかなぐり捨てて、カミーユたちを質問攻めにしてきて。やっとのことで夜会から抜け出して、屋敷に逃げ帰って来たのだから。



「……カミーユ、そんなにブラン卿と親しかったのか? 婚約を申し込まれるくらいに」



 カルリエ家の執務室。執務机について、いつの間に、というように口を開いた父、バスチアン・カルリエに、向かい合うようにして机の前に立つカミーユは深く息を吐いて見せる。
 「そんなわけないでしょう」と、心の底から呟きながら。



「夜会に顔を出した時に、時々挨拶を交わす程度です。お父様が一番よく知っているでしょう?」



 溜息混じりに言えば、バスチアンは「確かにな……」と頷く。
 これまで夜会に出る時は、婚約者としていつもジョエルが傍にいた。しかしその背後には、用心のためと言って、常にバスチアンが控えてくれていたのだ。カミーユが抱える、とある事情のために。



「そもそも、私が男の方と親しくなんてなれるわけがないわ……。いくら顔が良くても一緒。だから、本当に驚いたのよ。昨日は」



 言いながら、カミーユは昨夜の出来事を頭に思い浮かべた。

 クラルティ伯爵家で開かれた夜会で起きた婚約解消に纏わる出来事は、もともとジョエルのクラルティ伯爵家とカミーユの家、エルヴィユ子爵家の間で、再三話し合いが持たれた後の出来事であった。家同士の繋がりを目的とした婚約であったために、本来ならばカミーユ一人の事情で解消することなど不可能だったのだが、有難いことにジョエルと、カミーユの妹であるエレーヌが互いに想い合っていることが分かったのである。

 カミーユもまた、ジョエルのことを生涯を共にする相手として好ましく思っていたけれど、どうしても彼を受け入れることは出来ないだろうと分かっていた。

 男の人が、怖いのである。

 三年前、婚約が決まった後に起きた、とある出来事。それにより、カミーユは家族やごく一部の男性以外に触れることが出来なくなってしまったのだ。ジョエルもまた、例外ではなかった。