「彼女をあの場から助けたのは、他ならぬ私ですから」



 にっこりと微笑み、静かに告げた言葉。

 カミーユと同じ、少し不思議な輝きを持つ茶色の瞳が大きく見開かれる。
 「君は……」と、バスチアンはまるで信じられないとでもいうような声音で、呟いた。



「その姿は、確かに、あの時の……。では本当に君が、あの……」



「ええ。お久しぶりです、エルヴィユ子爵閣下」



 頭に被せたウィッグを外しつつ、アルベール・ブランとしてではなく、数年前に一度だけ装った、別人としての言葉を告げる。
 その時の自分よりはずっと、悠然とした態度だったけれど。

 バスチアンはしばらく、声も出ない様子でこちらをまじまじと見ていて。
 深く、息を吐いた。「そう、だったのか……」と、独り言のように呟きながら。



「なぜなのかと、そう思っていた。君のような男が、なぜたかが子爵家の令嬢であるうちの娘を選んだのか、と。何かおかしなことに巻き込もうとしているのではないかと、そう思っていたのだが……」



 気の抜けたような声で言い、バスチアンは僅かに掠れた笑い声を上げる。「そういうこと、だったのか……」と、再度彼は呟いた。



「君がいたから、少なくともあの子は、男を完全に拒絶することはなかった。触れることは恐れても、言葉を交わすことをやめることはなかった。今はもう婚約を解消したが、ジョエル君との婚約関係を続けられていたのも、君のおかげのようなものだ。……君には、感謝しても、しきれない程の恩がある」



 怯えた表情で立ちすくみ、しかし毅然と前を向いて。アルベールが彼女を救い、事が全て終わった後でも、彼女は決してその淑女然とした様子を変えなかった。けれど。

 目を離したその瞬間、堪えきれなかったように泣き出した彼女の姿を、今でも覚えている。震えるその小さな肩を、覚えている。
 あの時、思ったのだ。彼女を脅かすものを、煩わせるものを、放ってはおけないと。
 彼女を、護りたいと。

 それも、彼女が婚約を発表した時に、潰えたはずの想いだった。消さなければならない想いだった。
 そんな考えとは裏腹に、おかしい程に、消えることなどなかったけれど。