帰りの馬車の中。自らの腕の中で寝息を立て始めた愛しい婚約者の姿に、アルベールはほっと息を吐いた。その身体が倒れてしまわないようにと自分に言い訳をして、抱きしめる腕をそのままに。

 疲れてしまったのだろう。心も、身体も。



「……本当に、情けない」



 彼女を守るために、ただそれだけのために最善を尽くしているはずなのに。予想も出来ない形で彼女を傷付ける全てが、ただただ憎かった。



 君にあんな顔をさせたくなくて、君の傍にいることを願ったはずだというのに……。



 泣きたくても泣けない、泣いてはならない。自らにそう言い聞かせたように、綺麗に取り繕われた、笑み。大丈夫だと呟く彼女の姿を見たのは、これで二度目だ。

 図らずしも、同じような場面で。



 今でも覚えている。……いや、死ぬまで。



 自分は、忘れることなど出来ないだろう。あの日の、彼女の姿を。

 ふと、そういえば、と思った。久方ぶりにあの名前を聞いたな、と。気付かれるかもしれないとは思っていたが、その相手がまさか、彼女の婚約者だった者だとは思わなかった。

 考えて、いや、と脳内で否定する。彼女の家族に次いで、長い時間を彼女と共に過ごしていた人物なのだ。気付いてもおかしくはないだろう。

 あの日の出来事も、どこまでかは知らないが、おそらく聞いているはずだから。

 先代の国王に命じられて行われた、傭兵たちとエルヴィユ子爵家の騎士団の合同訓練。そこに紛れ込んだのは、当時はまだ王太子であったテオフィルの希望であった。

 ウィッグを着用して髪の色を変え、嫌でも目立つ顔を隠すためにうっとうしいほどに長い前髪を作って。酷い火傷があると嘯いて、顔の上半分を目元だけを残して包帯で覆った。流れ者の傭兵、ルーは、そういう姿をしていた。



 傭兵たちでさえも気味悪がって近付いてこなかったというのに、君は気にも留めずに声をかけてくれたな。



 食事や休憩、怪我をした時。団長であるバスチアンの補助として走り回っていたカミーユは、分け隔てなく騎士たちや傭兵たちに接してくれた。

 だからこそ、そんな中で起きたあの出来事が、許せなかった。