もしかしたら、遅刻するかもと思って。
 履き慣れていない靴で猛ダッシュしたら。
 まだ、相手は来ていなかった。
 開けっ放しの講堂に入ると。
 そんなに大きくないことに気づいた。
 舞台にはグランドピアノが、どんっと置いてあって。
 舞台を眺める観客席は、長椅子が6つほど置いてあるだけだ。
 大きな窓から入ってくる太陽の光に、どこか懐かしい気持ちにさせてくれる。
「セシル様でいらっしゃいますか」
 静かな中、女性の声が響いた。
 振り返ると、50代ぐらいの綺麗な顔立ちをした女性がじっとこっちを見ている。
「はい、セシル・マルティネス・カッチャーです」
 頭を下げると、「そうですか」と女性に冷たく言われた。
 そのファーストコンタクトを得て、すぐに私はこの人のことが苦手だなと悟った。

 見るからに、侍女なんだろうなと思われる女性の後ろから、颯爽と飛び出てきたのは。
 一人の20代の女性だった。
 すぐに目を見張ったのは、彼女の瞳の色だ。
 色白の肌にこの国では珍しいであろう紫色の目がキラキラと輝いている。
 ピンク色のドレスがよく似合っていた。
 すぐに、この人は王族…お姫様だというのがわかる。
 女性は、私を見ると「あっ」と声を漏らして驚いた顔をしている。
 やっぱり、この国では海外の人間が珍しいのだろうか。
 じっと私の顔を見て、まばたきをした後。にっと口角をあげた。
「はじめまして。国王の弟、蘭殿下の妻です。カレンと呼んでくださいね」
「国王の弟・・・?」
 国王の弟…というワードに固まってしまう。
 カレンと言う女性は、こっちのことをお構いなしに
「さっそくですけど、何か一曲弾いてもらえますか?」
「え、ああ。はい。どんな曲を弾きましょうか?」
「何でもいいわ。貴女(あなた)の好きな曲をお願い」
 ふんわりと笑う彼女は、どこかバニラに似た神秘さがある。
 人間なのに、なんか不思議なオーラがあるなあと思いながら。
 何を弾こう…

 ピアノの前に座り込む。
 ここで、暗くて激しい曲なんて弾かない方がいいに決まっている。
 かといえ、簡単すぎたら実力がないと思われてしまう。
 ぐるぐると考えて。
 指を動かす。
 柔らかな春の曲…にアレンジを加えてちょっと難しくする。

 弾いている間は、相手の顔が見えないのでどんなふうに感じているのかはわからないけど。弾き終えると、すぐに拍手をもらえた。
「素晴らしいわ。是非とも、私の子供たちにピアノを教えてほしいわ」
「はい、喜んで」
 返事をすると、カレン様は、ぎゅっと私の手を掴んだ。
「よろしくね」
 力強い手で掴まれたので、ビックリしてしまう。
 私のほうが背が高いので見下ろす形になってしまったけど、
 紫色の瞳は何かを訴えかけるように、こっちを真剣に見ている。