ここは、ティルレット王国の城下町。
 主に上流階級の貴族たちが住む住宅街の一角にある古びた屋敷に私と侍女は2人で暮らしている。
 本当は夫と3人暮らしの予定だけれども。
 夫と私は政略結婚という名称のもと結婚した。
 お互い、好き好んで結婚したのではない。
 だから、夫はこの屋敷に来ることはない。
 じゃあ、夫はどこで暮らしているかって?
 宮殿のほうにあると言われている国家騎士団の寮に住んでいるんだって。

「さっすがに一ヵ月も経つと暇ねえ」
 中古で購入したアップライトピアノを前に私は独り言を言った。
 つい一ヵ月前、私は魔法をかけてもらい別人として生活していた。
 その頃は、ピアニストそしてピアノの先生として町中を駆け巡って仕事をしていたというのに。
 元の姿に戻された私の容姿は、あまりにも美しく目立つので自由に出歩くことが出来ない。
 毎日、ピアノを延々と弾き続けてきたけど。いい加減飽きた。

「セシル様、お茶にしましょう」
 振り返ると、シナモン…改めバニラがにっこりと微笑む。
 バニラは私と同じスカジオン王国の出身で、人間ではない。
 見た目は人間そのものだけれども、妖精だ。
 どう見ても、それ魔法じゃない? というようなことを目の前でしでかすのだけれど。
 本人曰く、妖精は魔法を使えない。妖精の力だと言い張るのだ。

「この町は酷く静かね。前の町の方が楽しかった」
「そうですねえ。外に出ても誰も歩いてませんもんねえ」
 こぽこぽとガラスのポットからティーカップへ紅茶が注がれる。

「国家騎士団ってどれくらいの稼ぎなのかしら」
 一ヵ月、考えてみたことがある。
 太陽様はある程度の生活費を与えてくれているけど。
 いつまで貰えるのだろうかと。
「国で一番偉い職業ですし、それなりに貰ってるんじゃないですかねえ」
 のんびりとした口調で、しなも・・・バニラが言った。
 ティーカップを手に取って、一口飲む。

 家にずっと閉じこもって、今後のことを考えていたのだけれど。
 どんどん悪いことを考えてしまう。
 真っ先に考えついたのは、太陽様に離婚を告げられることだ。

 太陽様は、エアーという40代のピアニストのオバサンに恋をしていた。
 ある日、エアーさんの家に強盗が入って、彼女の侍女が一名誘拐された。
 それがトラウマになってしまったエアーさんは、故郷に帰ってしまった。

 何を隠そうそのエアーというオバサンは私自身だ。
 エアーというオバサンが私だということを太陽様は知らない。

 もし、エアーさんを傷つけたことに自責の念を感じているのだとしたら。
 太陽様はずっと彼女のことを思い続けるのだろう。
 私はエアーさんの姪っ子という設定になっていて。
 今は同情という形で、太陽様の奥さんになったけど。
 いつか、ほとぼりが冷めたら離婚を言い渡されるに決まっている。

 それが、いつになるのかが怖い。
「また、働きたいなあ・・・」
 無理だとは、わかっているけど。
 口に出さないではいられなかった。
 家でじっとしているのは性に合わない。

 他の貴族は何をして過ごしているのだろう?
 知り合いがいない私はパーティーなんて行くことなんてないし。
 お金がもったいないわ。

 黙って私を見ていたバニラは真剣な顔をする。
「一度、ジャック様にご相談されたらいかがですか?」
「ジャックさん…? 相手にしてくれるかなあ」
「ジャックさんの性格でしたら、きっと手を貸してくれるはずです」
 ジャックさんは太陽様の幼なじみで国家騎士団の人間だ。
 私の素性を知る数少ない人物の一人だ。

 ジャックさんは孤児院出身で、困っている人を見ると助けずにはいられない性格らしい。イチゴの事件の後、私に「困ったことがあったらいつでも相談に乗るよ」と、とろけるような笑顔で言った。
 騎士団じゃなくて、ホストっぽいんだよなあ…と思いながら。
「ジャックさんねえ…手紙だけでも書いてみようかなあ」