「最後になんかしねぇよ。小春に伝えなきゃなんねぇこともあるし」
それに対する答えを聞くまでは死ねない、と心の中で思う。
歩み寄ってきた小春は少し間を空け、蓮の隣に腰を下ろした。
わずかにソファーが沈み込む。
「……もう寝た方がいいぞ? 記憶のことなら何も心配すんな。忘れてることはぜんぶ俺が教えるから」
「うん……。ありがとう」
今日のことを忘れたくないのは事実だが、大雅が取り戻してくれたように、深層部分には確かに残っている。
思い出せなくても、教えてくれる蓮がいる。
失いはしない、自分の中に留まっている。
だから怖くはない。心配もいらない。
ただ、記憶のことではなく、何か他に胸騒ぎがするような気がした。
何かは分からないが、漠然とした不安が渦巻いている。
「……なぁ」
遠慮がちに蓮が声をかける。
「小春の布団で寝てもいいか?」
「えっ!?」
思わぬ言葉に戸惑った。
それまで蔓延っていた不安感が、ぱちん、としゃぼん玉のように弾ける。
「い、一緒に寝るってこと……?」
不意に頬が熱を帯びた。
瑠奈のせいで変に意識してしまう。
「一人じゃ眠れねぇんだろ、余計なこと考えちまうから。俺だってそう。だから……」
とはいえ、一緒に寝るなんて尚さら眠れなくなるのでは、とも思った。
だが、一人で目を閉じると色々なことを考えてしまって眠れないのも事実である。
「わ、分かった」
そう答えると、蓮は安堵気味に小さく微笑んだが、はっとして慌てて両手を上げた。
「大丈夫、指一本触れねぇから」
「心配してないよ」
小春は笑った。
わずかな沈黙が落ち、彼女は口を開く。
「……海、綺麗だったな」
「また行こうぜ、今度は夏に」
「うん、行きたい。瑠奈や奏汰くんも一緒に……次は紗夜ちゃんたちも誘って」
明日のその先、そして、十二月四日の先の話をした。
────しばらくそうしていた。
静寂の間で思いついたことを口にするだけの、取り留めのない会話を交わす。
少し経つと、だんだん沈黙の幅が広くなっていった。
小春はうつらうつらとしていたが、いつの間にか眠りに落ちていた。
蓮はスマホで時刻を見る。二十三時五十六分。
そっと、小春の頭を撫でた。
音を立てないようソファーから下り、彼女の正面に屈む。
「……小春。俺さ、中学の頃にお前と初めて会って、腐れ縁でずっと一緒にいたけど……本当はそれだけじゃなくて。俺がいたくてお前のそばにいたんだ」
蓮は深く息を吸った。
「いつからかはわかんねぇけど……。俺、小春のことが好きなんだよ」
眠っている彼女からは、当然反応などない。
それでよかった。
そうでなければ、まだ言えない。
「……こんなことになるなら、もっと早く言えばよかったな」
ぎゅう、と拳を握り締めた。
つい感傷的になり、はたと我に返る。
「くそ、フライングした。何ビビってんだ、俺」
想いを伝えるのは、すべてが終わってからのつもりだった。
彼女には聞こえていないといえど、つい思い詰めていたようだ。
これからしようとしていることに、その結果に、少し怯えてしまっていた。弱気になっていた。
立ち上がった蓮は小春から離れ、再びスマホを見る。
二十三時五十八分から五十九分になった瞬間だった。
ウィザードゲームのアプリを開き「④」を選んでガチャを回した。
ぎゅっと目を閉じる。
……そのまましばらく待った。一分近くそうしていた。
今のところ身体に異常はない。
心臓も動いている。記憶も失っていない。
そっと目を開け、画面を見やる。
【オメデトウ!
キミには“風魔法”を授けるよ〜】
蓮は慎重に文字を目で追う。
【あなたの“寿命(80年分)”を消費しました。
魔法ガチャは23時59分に再度回せるようになります】
無意識に止めていた呼吸を再開する。
つ、と垂れてきた鼻血を人差し指で拭う。すぐに治まった。
蓮は微弱に笑う。
「……俺って長生きだったんだな」
正直なところ八十年分という数字は衝撃的だったが、ともあれよかった。
すぐに支障があるようなものではなくて。
小さな賭けに勝ったと言える。
蓮はスマホをしまうと、小春を横抱きにして布団に運んだ。
……この温もりを、失いたくない。