―10年前―

「おはよう、桜。早く起きて?」

耳元で優しい声がする。これはきっと夢の続きだ。この前見たときは金髪碧眼の王子様がお姫様になった私を起こしに来るところでお母さんに起こされてしまったから。

「桜。そろそろ遅刻しちゃうよ?ね、起きて?」

でも、なんだかやけにリアルだな…。耳元で感じる吐息に、頭を撫でる手。その手が私の茶色い癖のついた猫っ毛を優しく梳く。
夢なのにそれが気持ちよくて、思わずすり寄る。

「あはは…桜起きてるの?」

今度はさっきっよりもなんだか鮮明に聞こえる。
夢…だよね?
目を開ければ確認できるけど、もし夢のままだったら、まだ開けたくないし、できればまだ寝ていたい。

「……っ」

しかし、お腹にヒヤッとした感覚が走った。身体がびくりと反応する。

「…桜。」

続いて、甘く聞きなれた声。でも、今度は耳元からじゃなく、何故だか顔よりも下の方から聞こえた気がした。
ここまでくると、この声の主が誰だか分かってしまう。

「…薫。」

ゆっくりと目を開けると、私のむき出しの鎖骨のあたりに顔を寄せている橘薫がいた。

「あ、桜、おはよう。」

私、向井桜から発せられている負のオーラなんてものともせず、ニコリと爽やかな笑顔を見せる彼。そして、そのまま顔を寄せていた鎖骨にちゅっぅと吸い付くと、身体全体に甘い痺れが流れた。
綺麗に赤い印がつくと、それを満足そうに見つめ、唖然としている私に視線を向ける。

「キスマーク、やっと綺麗についた。これで先輩にできるよ。」

高らかにそう言い放つと、未だに動けずにいる私の鎖骨についた印に、細く長い指をツーっと這わせる。それに反応した私をみてまた満足そうにすると、ベッドから降りて、ハンガーにかけてあった私の制服を掴んで、こういった。

「ほら、早くしないと本当に遅刻しちゃうよ?僕は先に下に降りて、おばさんが作ってくれた朝ごはん用意しとくから。」

ウキウキした表情をしながら、部屋から出て行った。


「…最悪。」


桜の地を這うような声色が、部屋に響いた。