生徒一同がやってきたのは芝生が敷き詰められた運動場のようなところだった。
 直径五メルトを超えるワイバーンの死体が十体、等間隔に並んでいる。
 死体の周りには鱗剥ぎやナイフを始めとした解体用具が設置されていた。

「よぉし。四人組になったな? これからお前たちにはワイバーンの鱗剥ぎをやってもらう。この前やったから大丈夫だとは思うが、この作業はチームワークが大事だからな。ワイバーンの鱗は複雑に連なっていて、決して一人では出来ない。男女で協力して取り組むことで性格の相性を見極めろ。もし自分に合う相手が居たら迷わずアタックしてけー。ここではちょっとやそっと失敗したくらいじゃ醜聞にならねぇからなー。特に貴族出身、お前たちだぞー。じゃ、そういうことで」

 間延びした教師の号令を受けて生徒たちは作業を始める。
 授業を休んでいたアリサへの説明は特にないらしい。

「じゃ、いっちょやるか! よろしくな、セレーヌ嬢!」
「暑苦しいのでもう少し離れて頂けますか」
「ははは! 塩対応超ウケるんだが!」

 ばんばんと背中を叩いてくるのは軽薄な男だ。

 サジャ・ホーン。
 アリサと同じ伯爵家の三男坊で、ディザークとは懇意の仲らしい。
 こんな軽薄な男が宰相の息子と仲が良いとは意外だとアリサは思う。

「アリサ、分からないところも多いだろう。今日は俺が付きっ切りで教えてやるからな」
「あたいのことも忘れてんじゃないよ! なぁ、どっちかこれ引っ張ってくれ!」

 早速作業に入っているのはシシリーだ。
 分厚い革手袋を使ってワイバーンの鱗に棒を入れ、てこの原理で取ろうとしているのだが、鱗は別の鱗に押さえつけられているから、上手く取れない。

「おし。じゃあ俺ちゃんが手伝うぜ」

 そこをサジャが助けに入って、重なった鱗を引っ張った。
 瞬間、それまで取れなかったのが嘘のように鱗が剥がれる。

「ああやって協力してやるんだ。中には四人がかりじゃないと取れないものもあるからな。ゆっくりやっていこう」

 ディザークが紳士的に説明する。
 ワイバーンの傍らに置かれたロープや鎖などはその時に使うのだろう。
 アリサはディザークの差し出してきた革手袋とシシリーたちを交互に見て呟いた。

「……まるで刑務作業ですね」

 これが、ウエディング学園の授業なのだ。
 さまざまな団体から、作業工程が多く、かつ、内部機密に抵触しない仕事を引き受け、労働者(生徒)たちが作業を代行することで手間賃を得ている。そのお金は学園の運営費に賄われ、生徒たちが気持ちよく婚活に励むために使われているのだとか。

「……いくつか確認したいことがあります」

 アリサは革手袋を受け取らずディザークを見上げた。
 ディザークは面白そうに眉根を上げている。

「今日はこの作業で終わりなんですよね?」
「あぁ。まぁ半日がかりだがな」
「他の日は別の授業がある?」
「もちろん。ワイバーンを乱獲しているわけじゃないからな」
「これが終わったら自由時間ですか?」
「そうだ。中にはチームで出かけて親交を深める者もいる。どうだアリサ。俺たちも同じことをしてみないか」
「……ふむ、それもいいかもしれませんね」

 ディザークは目を見開いた。
 いつものアリサなら間違いなく断っている案件だ。
 アリサはワイバーンの死体に近付いた。

「提案なのですが、二人一組で出来るところまでやりませんか。わたしとペスカトル様が右半分、シシリーさんとホーンさんは左半分という形で」
「それはいいけど……」

 シシリーが戸惑ったように瞳を揺らす。
 アリサがディザークを避けたがっているのは彼女も知る話だ。
 その変わりように付いていけないシシリーだが、

「いいな。それで行こう」

 ディザークはこれに乗らざるを得ない。
 アリサの提案は二人きりで作業をするまたとないチャンス。
 アリサが二人きりを希望したということを周りに知らしめれば、外堀は半分埋まったも同然だ。

(何を企んでいるかは知らないが、面白い。乗ってやる)

 そう意気込むディザークに友人のサジャは肩を竦めた。

「まぁ俺ちゃんはいいけどよ」
「じゃあ決まりですね」

 ディザークが早速エプロンや革手袋を身に着ける。
 そしてアリサの分も持って近付いた時、彼は違和感に気付いた。

(……本を、読んでいる?)

 アリサが読んでいたのは解体道具の一つ、ワイバーンの解剖書が入っている。
 ぱらぱらと概要をさらったアリサは頷いた。

「なるほど、大体分かりました」
「……予習をしたのか。偉いな、アリサ」
「ペスカトル様、わたしは下半分をやるので、上はあなたの担当でいいですか?」
「あぁ、構わん」

 アリサは背が低いからどの道、上半分は手が届かない。
 しかし、アリサの担当となった下半分は別だ。

(鱗は一人で抜くことが出来ないのだ。アリサは俺に頼るしかない)

 今日の勝利も貰ったも同然だとディザークは口の端を上げる。
 しかし、その油断こそが彼の敗因となった。

 彼はまだアリサ・セレーヌという女を侮っていたのだ。

「言質、頂きました」

 にやり、とアリサは笑った。
 そして彼女は本を開き、ワイバーンの死体に朗々と詠唱を始める。

「《気高くも畏き空の王》」
「「「!?」」」

 アリサの担当する箇所に網目のような魔法陣が広がる。

「《御手たる風よ放て、我が意のままに》」
(まずい……!)

 ディザークが邪魔をしようとするが、

「『風刃円舞(ヴェルネス・リーゼ)』」

 ──……ぱぁんッ!

 ワイバーンの身体に走った風の刃が鱗を弾けさせた。
 連鎖的に広がる崩壊は止まることを知らず、アリサの担当箇所から鱗を剥がし尽くす。

 鈍い青色の皮膚を見せたワイバーン。
 ぱらぱらと足元に落ちた鱗を踏みつけて、アリサは満足げに本を閉じる。

「さて、わたしの担当分は終わりましたね」
「え、いや」
「わたしは上半分には届かないので、あとはお三方でお願いします。では」

 颯爽と身を翻し、離れたところで読書を始めるアリサ。
 ディザークはなぜ本を持ち込んでいるんだというツッコミをする気にもなれなかった。

(やられた……! 奴め、最初から作業をする気などなかったのか!)

 そう、アリサが司書長と交わした約束は授業に出るところまで。
 どのように授業を受けるか、その姿勢までは問われていない。
 ワイバーンなどに大好きな読書の時間を削らせるアリサではない。

「すっげ……これ、あの子の魔法、相当な腕だぜ。俺ちゃんも魔法は使えるけど、同じことしろって言われたら無理だし」
「しかも鱗に傷一つ付いてない……これ、相当高値で売れるんじゃないかい?」
「冒険者ギルドが黙ってねぇーだろーな。荒れるぜ、これは」

 ディザークは我に返った。

(クソ、今日は俺の負けだ……君を舐めていた)

 今度からアリサの魔法の腕も加味して作戦を組み立てねば。
 ため息をついたディザークがワイバーンに向き直ると、

「あれ? なんかすごく抜けやすくなってないかい?」
「ほんとだ。もしかして、セレーヌ嬢……なんかした?」

 アリサは応えない。既に読書の世界に入っているから。
 だが、これは間違いなくアリサの仕業だろう。
 意図したものかどうかも分からないが、その心遣いにディザークは感動した。

「……さすがはアリサだな」

 そして彼は、足元に転がった鱗にナイフを突き立てる。
 シシリーが焦ったように声をかけた。

「お、おい。なにしてんだい。せっかくいい感じの鱗なのに」
「馬鹿者。こんな良質な鱗を冒険者ギルドが見つけてみろ。アリサはどうなる」

 シシリーはハッとした。

「王様の耳に入って、強制的に婚約……?」

 彼女の魔法の腕はまだ誰にも知られていない可能性がある。
 もしもこれが知られれば、彼女の人生はもっと違ったものになったはずだ。
 ディザークはワイバーンの鱗をわざと傷つけながら言った。

「貴様らも協力しろ、デインジャー、ホーン」
「……ま、しゃーねーか。友達の頼みだしな」
「それがアリサの為ってんなら、異論はないよ」

 三人は頷き、作業を始める。
 本人のあずかり知らぬところで友人たちの囲い込みが始まっていた。
 それはディザークが彼女に焦がれているからだけではない。


 ──彼女の身を守り、彼女の自由を守るために。



 今日の勝敗:アリサの圧勝。