(え、何。この人。もしかしてわたし、牽制されてる?」

 アリサは面食らっていた。
 ただお礼を言っただけで好意であると勘違いされたのだろうかと。
 生殖行動の一環だと思われたなら甚だ心外であると彼女は主張したかった。

「……まったく」

 ディザークは一方的にまくしたて始めた。

「他人が危ない所に合っているのを見たら助けるのは当たり前のことで、それ自体に好意はない。いい加減にうんざりなんだ。俺の言葉一つをいいように解釈して婚約にこぎつけようとする女には。お前も今、同じ目をしていた。だから言った。何か間違ってるか?」

 カチン、とアリサはキレた。

全部間違(・・・・)って(・・)ますけど(・・・・)
「は?」
(何なのこの男、本当にヤな奴……あ、そうだわ!)

 脳裏に電撃が走った。

(宰相の息子なら……うん、イケる……!)

 アリサの頭は高速で回転し、目的への道筋を描き出す。
 今や彼女はディザーク・ペスカトルを明確なカモとしてとらえていた。

(うまくいけば、わたしは今すぐ退学出来る!)

 アリサは獲物を見定めた猛獣のごとく唇を舐めた。

「さっきから黙って聞いていれば、あなた失礼すぎませんか?」
「なに?」
「確かに助けてもらったことは感謝していますけれど……あなた、自分で思ってるほどカッコよくありませんよ。わたしがお礼を言っても無視するし、挨拶も出来ないし、お互いに名前も知らないのに、ただ暴漢から助けただけで相手があなたに惚れると思ってるなら自意識感情すぎて気持ち悪いです。あなたみたいなナルシスト、こっちから願い下げだわ」

 挑発、愚弄、見下げ果てた視線。
 今までに感じたことのない感情を向けられディザークは目を見開いた。

「お前は俺の顔を見てもなんとも思わないのか?」
「は? だからカッコよくないって言ってるでしょ。顔だけで人生が決まるならわたしの人生どん底よ。認めてたまるもんですか」
「俺は侯爵令息。宰相の息子なんだが……」
(キタ─────!)

 アリサはディザークが宰相の単語を出すのを待っていた。
 たとえ彼が困惑気味にしていようが関係ない。
 宰相の息子、その単語を出した時点でアリサの勝利は近い。

(いや待て、焦るな、わたし。今ここが、人生一番の正念場よ!)

 アリサは理性を総動員して口を動かす。

「この忌々しい学園では貴族位や立場を振りかざしてはならないと校則にありましたが、宰相の息子ともあろうお方がその校則を無視するのですか? なるほど、そういうことならどうぞ貴族の権力を使ってわたしを退学にすべきでしょう。わたしのような身分の違いも分からない小娘はこの学園に相応しくありません。さぁ、今すぐ退学にするのです。さぁ、さぁ、早く! わたしを、退学に!」

 アリサは内心で狂喜乱舞していた。
 獲物が牙に掛かったことを確信し、勝利の高揚が胸を満たす。

(宰相の息子が傲慢な男で助かった! これでわたしは退学間違いなしだわ──!)

 一方、別の意味でぐいぐいと迫ってくるアリサにディザークは愕然としていた。
 目をきらきらとさせているアリサの瞳に情欲の色は一切ない。
 むしろこちらを軽蔑しながら全力で利用してやろうという野心の光が宿っていた。

(なんということだ……)

 感動が、彼の胸を満たした。

(宰相の息子という立場の俺にまっとうな意見を告げる度胸と胆力。他の女共は俺の顔を見るなり流行がどうのドレスがどうのと興味のない話をまくしたて、俺の地位と財産が目当てに婚約を打診してくるクズばかりだったが……むしろこの学園にはそのような女しかいないと思っていたが、まさかお前のような女が居たとは……なぜこんな女がこの学園に放り込まれることになったのだ……周りの男共の目は腐っているのか? いや、俺にとっては好都合か……)

 無価値だった景色が色鮮やかに彩られ、彼の世界は変わった。
 彼女を見ているだけで胸が小躍りを始めて抱きしめたくなるような衝動に駆られる。

「何の罪もない女を退学にするわけがない。そんな権限は俺にはない」
「……そうですか」

 アリサの顔から徐々に笑みを消え、彼女は肩を落として俯いた。
 勝利の高揚感が瞬く間に落胆へと変わり、気分が重くなる。

(はぁ……世の中、そう上手くはいきませんか……)

「──ところで、君はアリサ・セレーヌだな?」

 突然名を呼ばれてアリサは眉を顰めた。

「は? 名乗ってないのに何で知ってるんですか」
「同世代の貴族は全員覚えているんだ。許せ、アリサ」

 アリサは三歩ほど距離を取った。

「いきなり名前呼びとか気持ち悪いんでやめてもらえますか」
「それは困る。俺は今から君に求婚しようと思っていたのに」
「……………………………………は?」

 アリサが固まっている間に、ディザークが目の前で膝をつく。
 そして彼女の手を取り、騎士が姫に告げるように彼はアリサを見上げ、

「アリサ・セレーヌ。どうか俺と婚約をしてくれないだろうか」
「!?」
(あれだけ自分を馬鹿にした女に婚約!? もしかして被虐体質なの!?)

 アリサは手を振り払い、じりじりと後ずさり、

「ぜ、絶対に無理です! あり得ません!」
「待て。少し話を」
「無理です気持ち悪いですありえないですさようなら!!」

 ダッシュでその場を駆け抜けた。
 校舎の中に入り人ごみを縫うように走り誰もいない空き教室に入り込む。
 びしゃりと閉めた扉の裏でアリサはずるずると尻もちをついた。

(怖かった……出会って秒で二人の男に婚約されるとか。この学園、噂以上だわ)

 心臓に手を当てると、どくんどくんと波打っているのが分かる。
 全力疾走した疲れと恐怖もあるが……アリサとて、女。
 あんな顔の良い男に迫られて多少なりとも思うところがないと言えば嘘になる。

 ただ、それは女としての本能というだけで。
 危ないところを助けてもらった補正が働いているだけで。

 ディザークという個人を受け入れているかと言えば、絶対に否だった。

(あの人だけは関わりたくないわ……どうか同じクラスになりませんように)

 入学式に向かう。王国中から集められた独身男女の入学者は三百人。
 今年度だけでこれほどの数になるのだから、五年制を取っていれば大所帯にもなるだろう。これならばあの男とも同じクラスになることはなさそうだと、アリサは安堵の息をついた。


 ──そのはずだったのに。


「また会ったなアリサ。君に会えて嬉しい」

 クラスごとに分かれた教室の中に、ディザークが居た。
 しかも、名前順に割り振られたはずの席でなぜか(・・・)隣同士である。

「な、ななな、なんで、あなたが同じクラスに……! しかもなんで隣に!?」
「うむ。頼んだら普通に代わってくれたぞ」
(そりゃああなたが言ったら代わるでしょうね!?)

 悲鳴を上げるアリサにディザークは笑顔を向けた。

「これから末永くよろしくな、アリサ」
「誰がよろしくするものですか!」
(これ頷いたら婚約を受けた(・・・・・・)と勘違いし(・・・・・)て既成事実になる(・・・・・・・・)やつ(・・)だわ……!)

 アリサの動物的直観にディザークは感心したように頷いた。

「引っかからないか。さすがは俺の惚れた女だ。ますます欲しくなった」

『氷の貴公子』が地味なアリサに話しかける事態に周囲は騒いでいた。

「どういうこと、あのディザーク様が!?」
「まさかセレーヌ嬢に気があるというの? あんなに地味なのに!」
(地味で悪かったですね!?)

 この際だ。周囲の目が向いているうちにアリサは宣言する。

「ペスカトル様、わたしは絶対にあなたと婚約しませんから、そのつもりで!」
「そうか。ならば振り向いてもらえるように努力しよう」
「「「きゃぁぁあああああああああああああああああああああ!」」」

 白熱する周囲にアリサは付いていけず、

「~~~~~~~~っ、もういいです。わたし帰ります!」

 担当の教師が来る前に、授業をフけることにした。


 ──そう、すべてはこの日からだ。

 ウエディング学園に入学した初日からディザークの猛攻が始まったのだ。
 アリサは同じクラスの彼を避けるように授業をサボり、お気に入りの場所を探して読書を始めた。

 本当は女子寮の部屋にこもりたかったが、授業の時間になると寮監が来て追い出されるのである。しかし、そんな彼女をディザークが放っておくはずもなく──


 そして時は、冒頭に戻るのであった。



 序章 完