ウエディング学園は王都から離れた辺境の地にある。
 小高い丘から見下ろす都市の街並みは鉱山に面して作られており、緩やかな坂を上った先に学園がある。ひきこもり体質のアリサが徒歩でこの坂を登れと言われたら途中で行き倒れていただろう。馬車で学園まで送るだけの優しさは両親にもあった。

(……あの人たちもわたしを愛してないわけじゃないのよね)

 ただ、絶望的に価値観が合わないだけ。
 それが致命的だと言われれば返す言葉もない。

 馬車を降りて校門をくぐると、大勢の新入生がいた。
 気が早いのか、彼らは早速新入生同士で戦いを繰り広げている。

「君の美しさに惚れた。僕と婚約してくれないだろうか」
「まずは爵位を聞いてもいいかしら。それと現在の王政についてのご意見は?」
「わたくし、あなたにとっても興味がありますの。今度一緒にお茶でもどうかしら」
「良いね。俺も君と話したいと思っていたんだ」
「ところであなたの着けているブローチだけど……」

 男の直截的な物言いを女性が迂遠に躱している。
 あるいは女性から男性に言い寄る場合もあるが、やはりこの学園に来る者というべきか──会話の節々からこれまで独身だった()が垣間見える、空恐ろしい会話を繰り広げていた。

(ああはなりたくはないわよね……)

 幸いにも自分の容姿は平凡そのもので見た目に惚れて婚約してくる者はいない。
 今だけは地味な見た目に生んでくれた両親に感謝したいくらいだ。

(まずは静かに読書できる場所を探さないと……)

 ここに来るまでに退学になる方法は考えてある。
 それらを実行することは大前提だが、読書の環境を整えることも急務だった。

 アリサが校庭に入ると、何やら人だかりが見えた。
 一人の貴公子が大勢の子女に囲まれている。

「ディザーク様、どうかわたくしとお話だけでも!」
「ちょっと! あたしが先にディザーク様とお話していたんだけど!」
「ペスカトル様、そこのブス共は置いておいてワタクシとお話しませんこと?」
「やかましい。静かしろ。そして邪魔だ。どけ」
「まぁ! つまり私のお話が聞きたいということですわね!? いいですわ、すぐに二人っきりになれる場所へ行きましょう!」
「…………ハァ」

 うんざりしたようにため息を吐く男に、アリサは見覚えがあった。
 ディザーク・ペスカトル。
 貴族社会に生きていてその名を知らぬ者はいないだろう。

 公爵令嬢から子爵令嬢、果ては王族に至るまで彼に婚約を打診したが、ディザークはその悉くを断った。本来なら断れない王族の頼みも実家の権力をフルに使い、あらゆる手を使って婚約をなかったことにしたという。その神算鬼謀っぷりは次期宰相という立場を盤石のものとし、未来を担う若者の一人として数えられている。同時に、どんな美女にもなびかないことから『氷の貴公子』と呼ばれているようだった。

(あんな人までここに送られてくるなんて……やはりこの制度は邪悪だわ)

 あれほど優秀な男なら独身のまま活用したほうがいいだろうに。
 法の下にすべてを執行しようという王国の執念には恐れ入る。

(まぁ間違ってもあんな人がわたしと関わることなんてないだろうけど)

 伯爵令嬢であるアリサにとってもディザークは雲の上の人間だ。
 この時はまだ、彼と関わり合う未来なんてまったく想像していなかった。

 入学式までまだ時間がある。
 アリサは読書の場所を探そうと人ごみから離れた裏庭へ足を運び──

「そこの君ッ!」
「は?」

 がしッ、と腕を掴まれ、アリサは振り向いた。
 顔面が蒼白になった金髪の痩せ男がアリサの腕を掴んでいる。

「今すぐ僕と結婚してくれ! お願いだから!」
「いや、無理ですけど。というか怖いんで離してくれませんか?」

 初対面の男に言い寄られて頷くようなアリサではない。
 そもそもこんな風に男に迫られるのは初めてで、恐怖のほうが勝っていた。
 男は手を掴む力を強め、にじり寄ってくる。

「いいや、君には僕と結婚してもらう。あんなところに送られるのはごめんだ!」
「……いい加減にしないと人を呼びます……むぐ!?」

 有無を言わさず口を手で押さえられたアリサの全身は震えあがった。
 血走った男の目が恐怖を呼び起こし、心臓が竦みあがる。

(なに……なんなの、この人……怖い、怖い、やだ、いやだ、誰か……!)

 男の手がアリサの太ももを撫でまわし、

「君には悪いけど、僕の人生のために犠牲に……」
「──強姦は死刑に当たるが、分かっててやっているのか?」
「ぶべぁあ!?」

 勢いよく誰かに殴り飛ばされた男は地面に転がった。
 ぴくぴくと白目を剥いて倒れる。解放されたアリサは膝の力が抜けて座り込んだ。

「はぁ、はぁ、はぁ」
「大丈夫か。怖かっただろう」

 そう言って手を差し出してきたのは、先ほど見たディザークだった。
 彼はアリサの後を尾ける男に嫌な気配を感じて付いてきたのだ。

「えっと……」
「五年生のブローチ……鉱山での強制労働目前で焦ったんだろうが……こういう輩が出るなら何らかの対策を講じてもらわねばな」

 アリサはディザークの手を取って立ち上がり、ぎゅっと胸の前で手を組んだ。

(まだ、震えている)

 男に迫られるのがあんなにも怖いものだと思わなかった。
 アリサが魔法を覚えたのは誰かに襲われた時の自衛の意味も兼ねていたが、いざという時になると身体が動かないというのは本当だったのだ。だからこそ、多くの貴族は護衛騎士をつけているのだろう。

「こいつは俺が連れていく。君は人目のあるところに戻れ」
「は、はい。あの、ありがとうございます」

 一方的に顔を知っているとはいえ、二人は初対面だ。
 せめてお礼を言おうと頭を下げると、ディザークは表情から感情を消し、

「頼むから勘違いするなよ。俺はお前が好きで助けたわけではない」
(…………………………は?)

 そう、冷たく言ったのだった。