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 それから一か月後のこと。
 エーリが仕事で人間界に出ると言うので、ノナも一緒に付き添うことになった。


「ノナが居ないと寂しいし、私のエゴで突然、こちらに連れてきてしまったからね。もしも心残りがあるならば、この間に果たしてしまうと良い」


 そう言ってエーリは優しく笑う。
 けれどノナはここに来て初めて、人間界に未練がないことに気づいた。


(父にも母にも会うわけにはいかない)


 本当ならばノナはエーリに攫われた翌日、後宮に入内をする筈だった。恐らくはノナが急に居なくなったことで、父も母もカンカンに怒っている筈だし、見つかればきっとただでは済まない。仮にそうなったとして、エーリが守ってくれるだろうが――――。


「わたくしは滞在先で、大人しくしています」


 そう言ってノナは穏やかに笑う。エーリは目を細めると、ノナの頭を優しく撫でた。


 二人の滞在先は、山奥にある湖の中だった。そこには、本邸に負けず劣らずの立派な別邸が存在している。本邸が花々に囲まれた華やかな宮であるのに対し、別邸は優美で上品な佇まいだった。
 湖の中でも不思議と呼吸は苦しくなく、視界もハッキリとしている。未だ夫婦になっていなくとも、そういった力はきちんとノナに受け継がれているらしい。


 エーリを仕事へと送り出してから、ノナは大きく息を吐いた。


(まさかもう一度、この世界に戻って来るなんて……)


 元々入内をすれば、二度と外には出られない筈だった。後宮はきっと、エーリ達と暮らしている世界よりも、余程狭い。完全に籠の中の鳥になる筈だったというのに、運命とはどこでどう転がるか分からない。


「ノナ……」


 その時だった。
 懐かしい声音がノナの耳に届いた。ドクンと大きく心臓が跳ねる。