「ごめんなさい、ノア様」

「何がです?」

「あなたの婚約者のハンカチをこんな風に汚してしまって……」


 見事な刺繍の施されたハンカチだ。恐らくは婚約者か、ノアを想う令嬢からの贈りものなのだろう。
 今さらながら、相手の女性には酷いことをしてしまった。ティアーシャのくだらない承認欲求のために、今頃寂しい思いをしてはいないだろうか? 苦しんでいないだろうか? 申し訳なさに心がつぶれる。

 本当はノアに声を掛けたのも、屋敷に呼び寄せたのも、彼や彼の絵に興味を持ったというより、エミールの関心を惹きたかったからなのだろう。無意識とはいえ、彼を当て馬にしたことを、ティアーシャは心から恥じ入っていた。


「婚約者なんて居ません。このハンカチに刺繍をしたのは俺ですから」

「えっ? ノア様が?」


 驚きのあまり、涙が引っ込んでしまった。ノアは瞳を細めつつ、刺繍の部分を優しく撫でる。


「ビックリした。あなたって本当に器用なのね。自分に正直だし……とても良いと思う」

「そうでしょうか? ……いや、そうかもしれませんね」


 そう応えたノアの表情は優しくとても穏やかで、なんだか嬉しそうに見える。ティアーシャは胸が温かくなった。


(やり直そう)


 もう一度、一から。
 ティアーシャは前を向くと、力強く微笑んだ。