「――――――はい。私はまだ、結婚相手にお会いしたことが無いのです」


 ロゼッタは困ったような表情で、そんなことを口にしていた。どうやらまだ、アビゲイルの存在に気づいていないらしい。


(えぇっ……!)


 アビゲイルはロゼッタの口を塞ぎたくなった。


(王女様のことだから、身分は明かしていないだろうし、お相手のことも話してはいないだろう。でも、でも!)


 ロゼッタはきっと、ライアンのことを慕っている。決して叶うことのない初恋だ。

 けれど今、婚約のことを打ち明けなければ、ロゼッタは少しでも楽しい時間を引き延ばすことができたはずだ。

 甘い恋の思い出を宝物にして、隣国に嫁いで行けた。それなのに、どうして打ち明けてしまったのか。

 ライアンは悲しげに笑いながら、黙ってロゼッタの話を聞いている。
 ロゼッタは、切なげに目を細めると、とんでもないことを口にした。


「ライアン様が私の結婚相手だったら良かったのに」

(え……?)


 その瞬間ガシャンと盛大な音を立てて、ティーセットが宙を舞った。

 アビゲイルはとてもじゃないが、己の聞いたことが信じられなかった。開いた口が塞がらず、ただ呆然と立ち尽くす。


「アビゲイル!」


 ようやくアビゲイルの存在に気づいたロゼッタは、頬を紅く染め、恥ずかしそうに顔を逸らす。ライアンは少しだけ驚いたような表情をしたものの、困ったように笑っている。


(私ったら何を……)


 アビゲイルは気を取り戻すと、ティーセットを片付け、急いで部屋を後にした。