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 それから数日後、バッカスの屋敷にシンシアとウィリアムが招かれた。人払いをした応接室にバッカスとジュノー、それからバッカスの父親であるゼウス侯爵が並んでいる。


「まさかおまえが婚約を破棄したいと言い出すとはな」


 ゼウス侯爵は立派な顎髭を撫でながら、小さく嘆息する。


「……血は争えないと言うことか」


 小さな小さなその呟きを、シンシアは聞き逃さなかった。『血は争えない』とはつまり、ゼウス侯爵にも婚約破棄の過去があるということだ。ウィリアムと共に顔を見合わせ、二人はゴクリと唾を呑む。背筋が凍る心地がした。


「父上……俺はこれまで、たくさんの女性に想いを寄せられてきました。俺もそんな彼女たち一人一人を愛していると思っていた。だけど、違いました。恋とは……愛とは身を焦がすほど熱く、幸せなものなのだと、知りました。ジュノーが俺に教えてくれたんです。彼女以外の人間は考えられません。ですから、シンシアとの婚約は破棄したいのです」


 バッカスの告白に、ゼウス侯爵は一瞬だけ目を見開き、小さく首を横に振る。彼の顔に表れた不穏な色に、シンシアは眉間に皺を寄せた。


「バッカスの気持ちは分かった。だけどシンシア、君はそれで良いのかい? 政略結婚とはいえ、私は君を気に入っていた。それに、こういうことは双方の合意が何より大事だと思っている」


 ゼウス侯爵はシンシアを真っ直ぐ見つめ、彼女の意思を問う。


「わたくしは……わたくしには異論はございません。父もわたくしの意思を尊重してくださるでしょう。ただ……バッカス様は本当にそれで良いのですか? ジュノー様は――――」

「そうしたいから呼んだんだ。それに、俺と婚約を破棄したからと言って将来の心配をする必要はない。ウィリアムが君と婚約をしたいそうだよ」

「えっ……? ウィリアム様が?」