「婚約を破棄したい」


 それは、わたくしがずっとずっと恐れていた瞬間だった。

 目の前には12歳の頃に婚約したアルバート。彼の傍らには、最近彼の側でよく見かけたミリー子爵令嬢がいて、しっかりと手を握っている。心臓がめちゃくちゃ痛くて、今にも涙が零れそうな中、わたくしはアルバートを見つめた。


「どうしてですの? 理由を聞かせていただけませんか?」


 心の中はパニックで、ぐちゃぐちゃで堪らないのに、こんな時でもわたくしの声は震えもしない。感情が欠落したみたいな氷みたいな冷たい声音に、わたしは絶望した。


「君といるとこちらまで心が冷たくなる。一緒に居ても楽しくないんだ」

(あぁ……やはり)


 悲しくて苦しくて堪らないのに、表情筋はちっとも仕事をしてくれない。彼にはきっと、氷みたいに冷たい侯爵令嬢クリスティーナの顔が見えているのだろう。


「それで、わたくしとの婚約を破棄し、ミリー様と婚約をなさるのですね」

「……そういうことだ」


 五年間、愛してやまなかったその美しい顔が、わたくしを見つめながら苦し気に歪む。

 こんなに……こんなにも好きなのに、わたくしはその想いを一ミリすらも伝えることが出来なかった。考え直してほしいと、あなたが好きだと、そう伝えたいのに、わたくしの唇は思い通りに動いてはくれない。


「承知いたしました」


 結局、最後までわたくしは自分の想いと真逆の言葉を吐いた。もう、アルバートの顔を見ることは出来なかった。