(けれど)


 サラはギュっと拳を握りしめると,男へと真っすぐ向き直った。


「それでも婚約破棄なんて認めない……いいえ,私がさせないから」

「は!?」


 意外な返答だったのか,アザゼルは目を見開きサラを凝視する。視線からくるプレッシャーが凄まじい。けれどサラは,もうめげなかった。キリリと男を睨み返し,大きく息を吸い込む。


「私は!絶対に元のアザゼルを取り戻して、彼と結婚するの!」


 そのまま高らかに宣言すると、アザゼルの身体をグッと引き寄せた。予想外の行動だったのか、男がグラッとバランスを崩す。途端に無防備となった男の唇に、サラは己のそれを押し当てた。


「なっ……!?」


 男は頬を紅く染め、信じられないといった表情でサラを見つめている。


(そんな顔しないでよ……私だって驚いてるのに)


 男にアザゼルの記憶が残っているかは分からないが、婚約者として長い付き合いをしてきた二人が、こうして口付けを交わすのは初めてだった。サラも、まさか生まれて初めての口づけをするだなんて今の今まで予想すらしていなかったというのに。


「っ……そっ、そういうわけだから!絶対、婚約破棄なんてさせないんだからね!」


 そう言ってサラは、脱兎のごとくその場から駆け出した。気恥ずかしかった。たとえ相手がアザゼルの皮を被った悪魔だったとしても、恥ずかしくて堪らなかったのだ。


(でも、おかげで覚悟は決まったんだから!)


 サラは両頬を思い切り叩きながら、前を向いた。そのまま足を速めると、目的地まで急いだ。