「婚約を……破棄したい」

「……今、なんて?」


 許婚からの思わぬ言葉に、サラは息を飲んだ。


「婚約を破棄したいんだ、サラ」


 ハッキリと告げられた離別を望む言葉はあまりにも冷たい。震える己の身体をギュッと抱き締めながら、サラは唇を引き結んだ。

 アザゼルとは、もう何年も前から交流を重ね、互いに婚約者として歩み寄ってきた。二人の仲は良好で、サラはアザゼルをとても慕っていた。アザゼルとなら誰もが羨む夫婦になれるーーーー少なくともサラはそう思っていたのだが。


「どうしてなの?アザゼル」


 努めて冷静にサラは尋ねた。世の令嬢方がこぞって婚約を破棄される昨今でも、自分とアザゼルだけは安泰だと思っていた。だからこれは、何かの間違いだ。サラはそう、自分に言い聞かせる。

 けれどアザゼルはサラの問い掛けに答えることもなく俯いていて、表情を窺うことができない。


(何か、止むに止まれぬ事情があるとか?)


 そんな考えが頭に過るが、どうにもピンと来るものはない。

 アザゼルの家族ーーーー公爵家の面々は穏やかな方ばかりで、爵位も財力も安定している。それに家の事情で婚約を破棄するなら、サラの父母へ先に話が来るだろう。

 一番あり得るとすれば、サラ以外に好きな人ができた、というパターンだ。けれどサラは、アザゼルに限ってそんなことは無いと思っていた。

 品行方正、誠実を絵に描いたようなアザゼルは、学園でもそれ以外の場所でも、常にサラと一緒だった。

 周りにも『婚約者』だとハッキリ伝えていたし、態度で示していた。たとえアザゼルに言い寄るものがあっても、一切応じてこなかったことをサラは知っている。


(だったらどうして)


 考えたところで埒が明かない。
 サラは恐る恐るアザゼルに近づくと、そっと彼の顔を見上げた。


「…………っ!?」


 その瞬間、サラは血の気が引いた。

 悲しげな、苦しげな表情のアザゼルを想像していた。良心の呵責に堪えかねて、震えているアザゼルを。

 けれど彼は、サラの予想に反して笑顔だった。しかもその笑顔は、サラの知っているアザゼルとは異なるもので。