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 その日から、私の日常は目まぐるしく変わった。
 これまで惰性で受けていた姫君としての教育が本格的なものに移行し、分刻みのスケジュールの中で生活する。当然、前みたいに息抜きに抜け出す時間なんてなくて、息が詰まった。


「お姉さま」


 そんなほとんど存在しない授業の狭間、私のことを呼んだのは、レイリーの新しい婚約者になったメアリーだった。
 滅多にないメアリーからの呼びかけに、私は首を傾げた。


「なに? 私に何か――――」

「レイリーって本当に優しい方なのね」


 メアリーはそう言ってニコリと笑った。胸を抉られるような感覚。息をすることも忘れて、私はメアリーを見つめた。


「これまで遠くで眺めるばかりで、よく存じ上げませんでしたが、気遣いができて、いつも笑顔で、素敵な方だと思いますわ」

「……そう」


 もう何年間も、私はそんなレイリーを見てはいない。いつも顔を合わせれば互いに憎まれ口を叩いて、私に向けられるのは仏頂面ばかりで。妹にはそんな顔を見せるのかと思うと、心が痛くて堪らなかった。


「同僚の方からの信頼も厚くて、この年でいくつもの手柄を立てている出世頭でいらっしゃって。侯爵令息ということを差し引いても、素晴らしい将来性だと思いますわ」

「あなた、そんなことを私に伝えに来たの?」


 我ながら心が狭いことは分かっている。新しくできた婚約者が良い人であることを喜ぶのは当然のことだし、誰かに伝えたくなることも理解できる。


(でも、私に言わないでよ)


 苦しくて悔しくて堪らなかった。
 レイリーには私を見て笑って欲しかった。私にも、前みたいに優しくしてほしかった。私だけを――――愛してほしかった。

 だけど、私がレイリーを好きなことは、私しか知らない事実だ。
 結婚したら、形だけでも彼の妻になれる。側に居られて、いつかは愛してもらえるかもしれない―――そんな夢を見ていただなんて、父も妹も、レイリーだって知りはしない。


(どうしたら良かったんだろう)


 彼との溝を埋めるための努力をしなかったわけではない。
 でも、頑張れば頑張るほど、溝は広がっていくばかりだった。いつの間にか、思うように話せなくなって、どんどん離れていく彼に手を伸ばすことが出来なくなって。全部全部、くだらない私のプライドのせいだと分かっていたのに。


「ごめんなさい、次の授業があるから」


 私はそう言って、メアリーに背を向けた。メアリーは小さくため息を吐きつつも、そのままじっと、私のことを見つめていた。