「ダリア! 今日、この場でお前との婚約を破棄する!」

 貴族や王族が通う学園の卒業パーティーで、この国の第一王子デイビィスが高らかに宣言した。デイビィスは、憎しみを込めた瞳で婚約者である公爵令嬢を睨みつけている。その断罪の様子を聖女マリーは夢見心地で見つめていた。

(フフッ、これで私がお姫様だわぁ)

 もう学園内で男爵令嬢だと侮られることはない。マリーは、優越感に満たされながら断罪されているダリアを見下した。

 いつも澄ましている生意気なダリアの顔が屈辱に歪んでいると思ったのに、ダリアは優雅に口端を上げる。

 そのとたんに、マリーの背筋にゾクッと悪寒が走る。不思議に思っているとマリーの脳内に言葉が響いた。

――デイビィス殿下、婚約破棄の理由をお聞かせください。
――理由はこのマリーを虐げたからだ!
――まぁ、わたくしがそこの方を?

(な、に? これは……?)

 マリーは学園に入学すると同時に、未来を予知する記憶の断片を見ることができるようになった。この力のおかげで、国から正式に聖女に任命されている。しかし、たった今見たこの記憶は、今まで垣間見てきたぼんやりとした記憶とは明らかに違う。

 戸惑うマリーの目の前で、現実のダリアは、あくまで優雅にデイビィスに話しかけた。

「デイビィス殿下、婚約破棄の理由をお聞かせください」
「理由は、聖女であるマリーを虐げたからだ!」
「まぁ、わたくしがそこの方を?」

 たった今聞いたばかりの会話が、すぐ目の前で繰り広げられている。

(どういうことなの!?)

 そのとたんに、マリーは激しい頭痛に襲われた。見たこともない世界の、自分ではない女性の記憶が、滝のように流れてくる。

「あっ、う……」

 こらえきれずマリーが頭を押さえると、優しいデイビィスはすぐに気がつき「どうしたんだ、マリー!?」と心配してくれた。

(ああ、やっぱり、私の王子さまはデイビィスよね。素敵……ん? デイビィス?)

 記憶の中の見知らぬ女性が熱心にプレイしていた乙女ゲームの攻略対象もデイビィスという名前だった。こういう展開は、前世で何度も見たことがある。

(前世? はっ!? もしかして、私、異世界転生している!?)

 しかも自分はヒロインのマリーで、今は、悪役令嬢ダリアの断罪イベントの真っ最中らしい。

 普通ならこれで悪役令嬢が処罰され、ヒロインは幸せになるが、目の前のダリアは余裕の笑みを浮かべて、どこか楽しそうですらある。

(こ、これは……)

 大好きな悪役令嬢ものによくある『断罪イベント返し』ではないだろうか?

 『断罪イベント返し』とは、悪役令嬢を断罪するはずが、逆に悪役令嬢に断罪され、断罪に関わった一同がとんでもなく酷い目に遭わされるという展開だ。

 ちなみに、男爵令嬢の多くは投獄ののち死罪。もしくは娼館行きだったり、バカ王子と一緒に平民に落とされ過酷な環境に陥った末に死亡したりする。

「い、いやぁあああああ!?」

 思わず叫んでしまったマリーを、デイビィスもダリアも驚きの表情で見ている。

(し、死にたくない!)

 しかし、マリーはこれまで聖女だからと調子にのり、いろんなことをやらかしたあとだった。

 ダリアという婚約者がいるデイビィス王子に言い寄ったり、宰相の息子、騎士団長の息子、さらに、ダリアの弟の公爵令息にまで甘えたりしてきた。

 もちろん、ダリアを含め、それぞれの婚約者達には良い顔をされず、何度も『マリーさん。どうか節度を持ったお付き合いをしてください』と優しくたしなめられていた。

 そのたびにマリーは『いじめられたぁ、こわかったぁ』とデイビィス達に泣きついた。それを鵜吞みにしたバカ王子たちは、優しい婚約者達に「マリーをいじめるな!」と声を荒げた。

(バカバカバカ! 婚約者がいる男性に言い寄る私もバカだし、家同士の繋がりのために結ばれた婚約者を信じないで、私の肩を持って一方的に罵る男どもってなんなの!? 私も含めて、私の周りバカばっかじゃない!)

 マリーは、今まで両親に甘やかされて育ってきた。マリーを溺愛している父には「マリー、我が家のためにも、学園で良い家柄の男を捕まえなさい。マリーはこんなに可愛いのだから、どんな男だって夢中になる!」と言われていた。

(良い家柄の男には、すでに婚約者がいるんだって! 私の両親もバカだった!)

 マリーは震えながら、目の前の悪役令嬢ダリアを見つめた。

(よ、よりによって、公爵家の令嬢にケンカを売るなんて死にたいの、私!? しかも、今までの聖女の未来予知って、前世のゲーム知識を断片的に思い出していただけじゃない! 私ったら、とんだ偽聖女だわ!)

 もっと早く転生前の記憶を思い出していたら、いくらでもやりようがあったのに、よりによって今は断罪中。しかも、今からダリアに断罪返しをされそうな雰囲気だった。

(どどど、どうしよう……)

 ずっと側で心配してくれるデイビィスには、もう『うっせぇ、バカ王子。黙れ』という感想しか出てこない。

(バカ王子が婚約者のダリアを大切にしていたら、こんなことにはならなかったのに!)

 八つ当たりしても仕方がない。

 マリーは目をつぶると大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。そして、目を開いてなんとしてでも、生き残る覚悟を決めた。

 支えようとするデイビィスの手を振り払い、マリーは全力で美しく見えるように淑女の礼(カーテシー)を披露する。

 今までのマリーでは、姿勢を保てずぐらついてしまい、まともな礼ができなかった。それなのに、本人も「私は聖女だから」と身に着ける努力をしていなかった。そんなマリーが、姿勢を正して優雅に頭を下げたので、会場の空気が変わった。

(よし!)

 ベタベタとくっついていたデイビィスから距離を取り、マリーは背筋を伸ばしてあごを少し引き、ハキハキと話し出す。

「ダリア様。今まで大変申し訳ありませんでした」

 ダリアの真紅の瞳が大きく見開いている。隣でデイビィスが「マリー、いったいどうしたのだ?」と心配そうだ。

(そりゃそうよね)

 今までのマリーは、常に舌っ足らずで甘えた声だったのに、急に大人びた話し方をしているのだから。愚かな真実の愛に狂っているデイビィスも、さすがにマリーの違和感に気がついたようだ。

 マリーは、悲しそうな表情を作りデイビィスを見つめる。

「デイビィス殿下、今までのご無礼をお許しください」
「マ、マリー? どうしたんだ? さてはダリア、貴様のせいだな!?」

 急にダリアのせいにしだしたデイビィスに、マリーは『どうしてそうなるんだよ、黙れバカ!』と言いたかったがグッと我慢する。

「ダリア様のせいではありません」

 そう、ダリアのせいではなく、全てはマリーのせいだった。しかし、それを認めてしまったら、死、あるのみ。だから、罪は認められない。でも、この場を収めるには、誰かのせいにしないといけない。

(さすがに誰かに罪をなすりつけて、身代わりにするなんてできないわ。だったら……)

 マリーは乙女が祈るように、両手を組み合わせた。

「私は数々の罪を犯してきました。しかし、それは本意ではありませんでした」

 会場のざわつきが収まるまで待ってから、マリーははっきりと言い切った。

「今までの全ては、神による意思だったのです」

 会場が水を打ったように静まり返る。その中で、ダリアの綺麗な声が響いた。

「どういうことですの?」

 ダリアの顔を見る限り、マリーの言葉を少しも信じていないようだ。

「実は……今までの私の行動は、全て神による試練だったのです」

 デイビィスがポカンと口を開けている。デイビィスだけではなく、騎士団長の息子も、宰相の息子も、ダリアの弟の公爵令息も同じような顔をしている。

 彼らを見つめながら、マリーは『アンタら、将来が約束されていて、あんなに優しくて美人な婚約者がいて、何が不満だったの?』と思った。

 もしかすると、生まれながらに全てを与えられ、完璧で順調すぎたために、彼らは退屈を持て余し、おバカなマリーを利用して刺激のある非日常を味わいたくなったのかもしれない。

 それは、一時の気の迷いで、彼らにはお遊びだったのかもしれないが、多くの女性を傷つけた火遊びの代償は高くつく。

(もちろん、私も同罪だけどね)

 だからこそ、彼らを救うためにも、マリーはここから逃げるわけにはいかない。

 ダリアの「神の意志、ですか?」という問いかけに、マリーは静かに頷いた。

「神は、聖女である私に試練を課されました。そして、それは、この国の未来のために、高位貴族男性を誘惑するというものだったのです」

 デイビィスに「マリー? な、何を言っているんだ?」と聞かれたが、マリーも『そうですね。私は、何を言っているんでしょうね?』と思う。

 しかし、生き残るには、もう聖女であることを利用して、これまでの悪行を全て神様のせいにするしかないと思う。

 嘘がバレたらどうしようという緊張感から全身が震えて、マリーの瞳に涙が滲んだ。

「神は、この国の行く末を案じておられました」

 全てが嘘ではない。正直、このデイビィスが将来、この国の王になると思ったら、誰でも不安になると思う。

「私に与えられた使命は、人々の人間性を試し、より良い未来に導くことだったのです」

 会場中の人が戸惑う中で、ダリアだけが小さく何度も頷いている。

「なるほど。では、マリーさんは、デイビィス殿下の人間性を試すために、今までおバカなふりをしていたと?」

 『いえ、今までは本当に、おバカでした』という言葉を飲み込み、マリーは「はい」と答えた。

 ダリアに「マリーさん、では、神の判決はどうなりましたか?」と尋ねられて、マリーはデイビィスを見つめた。

「デイビィス殿下。貴方は……王の器(うつわ)ではありません」

 今までデイビィスを称え甘い言葉を囁いてきた同じ口で、マリーはデイビィスに現実を突きつけた。

「マ、マリー?」

 デイビィスを無視して、マリーは騎士団長の息子、宰相の息子、公爵令息に目を向ける。

「貴方たちも、人の上に立つ器ではありません」
「なっ!?」

 マリーは『なっ!? じゃねーよ、婚約者に暴言を吐く男を誰が信用してくれるのよ!?』と思ったが、顔には出さない。

 デイビィスが「マリーがっ、マリーが言い寄ってきたではないか!?」とキレ出したので、冷たい視線を送っておく。

「確かに私が言い寄りましたが、私を受け入れて、婚約者より優先したのは、貴方達だけですよ?」

 そう、おバカなマリーは、デイビィス達以外にも、第二王子や侯爵令息や、教師にまですり寄っていた。でも、デイビィスたち以外には、はっきりと断られ距離を取られた。

 特に第二王子には、「今度、私に無許可でふれようとしたら君を処罰する」とまで言われている。そのことを説明すると、デイビィス達はようやく自分たちの愚かさを理解したのか顔を赤くした。

「誘惑という名の試練を与え人を見定める。これが神の意志でした。そして、彼らは神の試練により振り落とされました」

 マリーがダリアに告げると、ダリアは満足そうに微笑んだ。

「そうですか。マリーさん、ご苦労様でしたね。この件は、わたくしより陛下にご報告いたします。まぁ、このような場での騒ぎですから、もうすでに陛下のお耳に届いているかもしれませんが」

 学生の身ですでに王妃の貫録を出しているダリアにガクブルしながら、マリーは深く頭を下げた。

「ダリア様、今までのご無礼をお許しください」

 ダリアは優雅に口端を上げる。

「許します」

 なんとか死罪は免れた。ホッとしたマリーは、全身の力が抜けその場に座り込んだ。本当なら気を失ってしまいたいところだが、そうもいかない。

「ダリア様。デイビィス殿下や、その他の方たちは、神の意志とは言え、私に騙されたのです。どうか、ご温情を……」

 クスッと笑ったダリアは、「それを決めるのは陛下です。……でも、あなたが騙さなくても、彼らはいつかはこうなっていたと思いますよ?」とマリーの耳元で囁いた。

 ダリアの言うことはもっともで、デイビィス達は、マリーがすり寄らなくても、いつか彼らにすり寄ってきた別の女性に入れあげて、婚約者をないがしろにしていたと思う。

 ダリアは「ですから、婚姻までに破局に追い込んでくださったマリーさんには、わたくしたち感謝していますの」と、マリーに向かって優雅に微笑んだ。

 ダリアの視線の先には、騎士団長の息子や、宰相の息子、公爵令息の婚約者達が、もう我慢できないというように必死に笑みをかみ殺している。

(ああ、高貴なご令嬢の皆さんが……おバカな婚約者と婚約破棄ができて喜んでいらっしゃる……)

 ダリアはマリーに手を差し伸べると、引っ張り立ち上がらせてくれた。

「マリーさん。わたくし、今まであなたが聖女様だって信じていなかったの。でも、神様は本当にいるのね。ごめんなさい、あなたは確かに聖女様ですわ」

 ふわりと微笑みかけられて、マリーは今さら『すみません……違います』とは言えず苦笑いした。

 その後、マリーは『神からの信託を受け取った聖女』として、学園をやめてすぐに神殿に仕えることになった。

 ダリアは、誠実な第二王子と婚約をし直し、とても幸せそうだ。今回の件で婚約破棄になったご令嬢達にも新しい婚約者ができたらしい。

 デイビィス達は、騒ぎを起こした責任を取らされ、それぞれ辺境の地に飛ばされていった。でも、それほど酷い目にも合わず、なんとかその土地で名誉を挽回するために頑張っているようだ。

 神殿に仕えるようになってからマリーは、神々しい神の像の前で毎日熱心にお祈りしている。

(どうか、皆がそれなりに幸せに暮らせますように。そして、神の名を騙った私に、天罰が下されませんように)

 あと、この国では聖職者も結婚できるそうなので、『私にもいつか素敵な出会いがありますように』と今日も偽聖女マリーは、聖女のふりをしながら真剣に祈っている。



おわり