「…そんなわけない。」

鞄からハンドタオルを取り出し、口元や濡れたところを拭きながら葵に答えた。

「じゃぁ、なんだよ。」

葵は自分が思っていた答えと違う答えが返ってきて腑に落ちない表情をしていた。

「俺はさぁ…。今は恋愛より部活と勉強がしたいんだ。」

「それと耕史にとって奈々が恋愛対象じゃないって話は別じゃんか。バーベキューの時だって奈々と手を繋いで俺の事煽ってなかったか?」

「それは……。」

そこを突かれるとうまく答えることができなかった。あの時はあのまま奈々ちゃんを葵に取られてしまう気がして…。それが何で嫌だったかなんてわからない。けど、とにかく嫌だっただけだ。

「奈々ちゃんは俺にとっては癒しキャラと同じなんだ。俺、優秀な兄貴がいてさー、父親が会社を経営してるんだけど、その会社を兄弟で継いでもらうのが夢なんだって。だけど、兄貴が優秀過ぎていつも比べられて『お前はダメだ。もっと勉強しろ。』って叱られるんだ。だから、部活と両立してもっと勉強して兄貴より頭のいい大学に行きたいんだよ。将来やりたい事だってあるし…。だから頑張っていつも勉強しているんだけど、所詮、出来の良い兄とは違って俺はただの凡人で…。」

葵は暫く黙って聞いていてくれた。

「丁度、勉強に行き詰っていた時に電車のなかで奈々ちゃんを見つけて……。あの子、本を読んでいる時の表情ってコロコロ変わって可愛いだろ?だから、見てるだけで癒されたんだ。見てるだけで十分だったんだけど、涙を浮かべてる姿を見てしまったら痴漢にでもあって困ってるんじゃないかと声を掛けずにはいられなくて…。」

話を続けながらも改札を抜けて電車に乗った。その間もずっと葵は俺の話を黙って聞いてくれていた。

「結局は読んでいた本に感動して涙を浮かべてたって落ちだったんだけど、つい、彼女とつながりが欲しくてメッセージアプリのIDを渡したんだ。」

「それって、耕史に下心があったからじゃねーの?」

「下心って…。あの時は遅刻ギリギリだったし…。とにかく奈々ちゃんの事が心配だっただけで深い意味はなかったんだ。だから本当に恋愛とかじゃなくて…。」

奈々ちゃんと出会った乗り換えのホームで電車を待っていた時だった。

「やっほー!二人ともすっかり仲良しだね!」

「「奈々(ちゃん)!!」」

下校時刻が偶然同じになったようで、奈々ちゃんが声をかけてくれた。

「葵くんは今日から学校だったよね。磐田くんに迷惑かけてないでしょうね!」

奈々ちゃんは肘で葵の横腹をグイっとつついた。

「痛って…。迷惑何てかけてねぇーよ。」

「いや、かけられたね。」

「えっ!?ほんと!?葵がごめんね!!!ってか、あんた何やったのよ!!」

「俺なんもしてねーよ。」

「同じクラスになっただけで迷惑。それにお前が田辺と道場で煩くしてるから部活で集中できなかった。」

「同じクラスは喜ばしいことじゃねーかよ!てか、ちょっと騒がしいくらいで矢が当たんないってメンタル弱すぎなんだよ。」

「えっ!?二人とも同じクラスなの!すごーい偶然!良かったね!磐田くん、こんなやつだけど葵くんの事よろしくね!」

「奈々ちゃんから頼まれたなら仕方ないなぁ~(笑)でも、こいつ、部活の見学中に同じクラスの男子に奈々ちゃんとキスした話してたよ。」

「耕史っ、なんでこいつにそんな話を!!!」

奈々ちゃんを見ると耳まで真っ赤になっていた。恥ずかしくてというより怒りでと言った方が正しいかもしれない。

「あ”~お”~い”~くぅ~~んっ!!!!!!!」

「う”ぐっ…。」

奈々ちゃんは思いっきり葵の足を踏んだようだった。

「磐田くん、あのね、キスって言っても葵くんは海外生活が長いでしょ?だから挨拶というかコミュニケーションの一つというか…。」

慌てて説明する奈々ちゃんは耳が垂れてしまった子猫の様に可愛くてやはり癒しキャラだと思う。

「ははは。そんな事だろうと思ってたよ。」

とは言え、彼女にキスをしたことは事実なんだと思うとスッキリしない気分になった。きっと葵が色々気持ちを煽ってくるせいだ。そういう事にした。

「…ところで、二人とも降りなくていいの?」

電車は奈々ちゃんがいつも降りるている駅にとっくについて、発車を知らせるベルが鳴り始めていた。

「「あっ!」」

奈々ちゃんと葵は顔を合わせて慌てて電車から降りると、電車のドアにある大きな窓から手を振って別れを伝えた。