「代わりに伝えようか。」
「いいえ、これは…僕が伝えなければ、いけないことですから。」
僕は教室のドアを開けた。
すっかり早くなった夜のとばり時、教室の灯りはまぶしく、碧はいつもの笑顔で待っていた。
「勉強する前に、言うことがある。」
碧の目が深く沈んだように見えたのは、きっと気のせい…と思いたいだけ。
「うん、いいよ。」
碧は真顔になって、じっと僕を見つめ返してきた。
真っ黒に光る瞳が、いつもより強い。

碧を見つけたのは、半年前。
卒業生を送り出して、ほんのわずかな空虚な数日。ほどなく次の生徒たちとの日々が始まるという、そんな時期だった。
「学校に入学してない子どもが一人、いるみたいだ。」
遠い風のうわさだった。
放っておいても、仕事には何の支障もなかった。どうして、探す気になったのかはわからない。
でも僕は、見つけてしまった。
住民票をもたず、学校にも行けない碧と、病身の父親と、幼い弟が、小さな部屋の片隅でうずくまっていた。
「名前は、なんていうの?」
うたがう目で見つめ返してくる。
「碧」
それから一生懸命の笑顔を向けてきた。
精一杯の愛想。
「今、何かやりたいことはある?」
「でも、どうせ難しいって言われるから。」
「言わないと分からないよ、無理かどうかは。」
碧の目は、その瞬間、キラリと光ったように見えた。
「わたし、中学生になりたい。」
この国で、こんな子どもたちが、どれほどいるのかは知らない。でも僕は、碧を中学生にしたいと真剣に思った。