「ほう、ここに人が来るのは何年振りだったか?…おい、小娘、お前の名はなんだ?」
あぁ、こんなところに来るんじゃなかった。後悔が今になって押し寄せてくる。それよりも目の前のこの男子は誰だろう。
「川田咲…だけど、あなたは誰ですか?」
言ってしまったから気づく、初対面のしかも、ちょー怪しい人になんで私は自己紹介しちゃったんだー!終わった…もうだめ、意識が遠のいていく中で最後に聞こえたのは…
「また来いよ、川田咲…俺はここで待っている」
そんなどこか寂しげな声だった。

「咲!おい川田!」
「う、うーん?」
重い瞼を頑張って開いたら、そこにいたのは鬼の顔をした担任だった。
「キャー!!」
「大きい声を出すな!」
思わず叫んでしまった。いや、授業なのに寝てた私も悪いよ。だけどさ!そんなに近くだとは思わなかったんだよ!
「まったく、お前が叫ぶと…」
「咲!」
「あいつが来るから嫌なんだ」
バン!とドアを蹴り飛ばすいきよいで、教室に入ってきたのは腹違いの弟の俊。彼は、怒鳴りつける担任なんて見えていないかのように、私の席まで飛んできた。
「なんかあったのか?」
「くうっ!ごめん、寝てただけだから!いきなりでちょっとびっくりしただけだから!」
そんなかわいい顔でこっちを見ないでほしい。彼、川田俊は私の弟で、学年でもモテる方のイケメン男子だ。
「はぁ、お前ら兄弟のこの手の問題は何回目だ?そろそろ学べ!そして俊は教室に戻りなさい!」
ついに堪忍袋が切れた担任は、真っ赤な顔をしている。
「そ、そういうことだから!俊ごめんね」
「なんだよ、すいません先生。心配させんなよ咲」
「うん、ごめんー!」
俊がいなくなり、教室の雰囲気が凍りつく。時計を盗み見ると、もうすぐチャイムがなりそうだ。つまり、授業の時間はもう終わる。私の時計への視線に気づいたようで担任も腕時計を見た。そして、さらに顔が赤くなっていく。
「っ!今日は授業は終わりだ!解散!」
俊が開けたままにして行った、ドアを強く閉めて、担任は出て行った。教室がまた騒がしくなっていく。
「ふぅー良かった〜」
「いや、本当に俊君お手柄すぎるよー!授業つまんないんだもん!流石咲の弟だね〜」
そう言って話しかけてきたのは、通路を挟んで隣の席の親友の藤野菜乃だ。
「寝るんじゃなかったー。また、俊が来ちゃったよ」
「あはは!まあ、いいじゃん、仲良しすぎて羨ましいよー!本当に俊君過保護だね〜」
「まぁね」
川田俊。彼は私の弟だ。彼の父親と私の母が再婚したのが、私たちが5歳の時。その当時私は、一緒に遊べる友達ができたと思い、嬉しかったのを覚えている。だから、彼が家族だと認識したのは小学校に入ってからだ。同じ家に住み、同じ苗字なのは家族だと知ったのだ。彼もきっと同じような認識だったと思う。私が5月生まれで、彼が6月生まれ。なので私が姉になった。同い年なので、あまり気にならない。
「それでー?咲さ、さっき寝てるときになんかうなされてたみたいだけど大丈夫?」
「嘘!全然気が付かなかった!」
「神社が何とか言ってたよ」
「寝言じゃん!恥ずい!」
「小ちゃい声だったから私以外気づいてないって〜!」
神社で思い出した。さっきまで変な夢を見ていた気がする。
「ごめん、菜乃。今日よるとこあるから先に帰って!」
「うん?別にいいけど…」
どうしても確かめたいことがあった。あの神社にもう一度行かなければならない。そう、自然と考えていた。

あっという間に放課後になり、私は教室を後にした。まだ、夏が始まったばかりなのに、制服だと暑い。
私が向かったのはうちの学校のグランドのにある丘…の裏だ。教室を早く出たことにより、運動部の姿はまだない。
「ここだ…」
丘の裏にあったのは、夢で見たままの神社だった。周りには木が生い茂っていて、誰の手入れもされていないようだ。なのに、その神社の周りだけは不思議な空間のように雑草一つも生えていない。
「なんでだろう。私、ここに来たことがある気がする…こんな場所、来たことないのに…」
普段独り言なんて言わないのに、スルスルと口から出てきた。まるで誰かに伝わるように。
突然、光が神社から溢れ出した。
「キャッ!な、何!?」
光が収まった後、神社を見ると彼がいた。
「よぉ。やっぱりきたな、小娘」
黄色い着物を見につけ、立っている彼はこの世のものではないような美しい顔で、意地悪そうな笑みをしていた。
「あなた…誰?」
「もう忘れたのか?年のわりに記憶力がないんだな」
「し、失礼な!ピチピチの16歳ですけど?!」
「ほう、そうか。まぁ、覚えていないのも無理はない。俺がちょっとした術をかけておいたからな。」
「はぁ!信じらんない!」
この人は一体何がしたいのだろう。出会ったばかりだが分かる。…私の苦手なタイプだー。
「まぁ、それはお前のためでもある。気を失っていたからな。目覚めたら困惑するだろう?だからこのことをお前の夢だということにしたんだ」
「確かに…直ぐには信じられないけど…」
「そうだろう?だが…ここに来るとは正直思わなかった」
「どういうこと?」
なんだか嬉しそうに彼は言った。その笑顔はなんだか子供っぽくてかわいい。
「お前の意志でここにきたということだ」
「私の…意志?」
「そうだ。俺はお前の中の夢で終わらせようとした。だが、それを拒み、俺のところに来ただろ?川田咲…お前には俺の術は効かなかった」
つまり、私は私の意志でこの人に会いに来たってことらしい。
「それでー…そいつは誰だ?」
「そいつ?」
後ろを振り返ると誰かに抱きしめられ、視界が真っ暗になった。この匂いは…
「俊?!」
「おい、咲に何してんだよ」
冷たい目であいつに目を向ける俊がいた。
「何って…おい咲、こいつは誰だ?」
「あぁ?なんで名前呼びまで行ってんだよ?」
「おい、小僧俺はお前の思っているような者ではないぞ。俺は咲の命の恩人でもある」
「は?マジなのか咲?」
確かにこの人にあったせいで気絶したけど、そのまま放置してはいないでくれたしな…
「まぁ、そんな感じ?っていうか、いつからいたの!?」
「あぁ、菜乃ちゃんに聞いたら咲ならもう出てったって行ったっていうから、探し回って運動部の友達がこっちに来るのを見たらしいから…慌て追いかけてきたんだ。…最初から聞いてた…悪い」
「いや、俊は悪くないし!悪いのはこの人だし!」
そういう言ってあげると、どうやら俊の機嫌も良くなったようで万年のえみだ。
「はぁ〜、おい!お前ら、俺が人なんぞなわけないだろ?俺はここの神だ」
「「嘘だ!」」
「なんでだよ!」
「「チャラい!」」
「俺だって今時の若者だぞ!」
思わず俊と一緒に抗議するのも無理はない。彼の格好は、確かに若い若者のような見た目だ。下は着物なのにフードつきのパーカー着てるし、髪は地毛だろうが金髪だ。やっぱり彼が神様には見えない。
「つーか、お前名前なんて言うんだ?」
「俺か?俺の名前は…北斗だ!ちなみに俺には力がある。’…だが、それも奪われてしまってな。これでも本調子じゃないんだ」
「…私に変な術かけたのに?」
「あんな簡単なものは寝起きでもできるぞ!」
なんだか変な人に捕まったらしい。
「それでなんで私はここにきたの?」
「あぁ、それはお前に…この場合はそこの少年もだな。俺の力を取り戻すのを手伝って欲しいんだ」
「へ?私たちに?」
「あぁそうだ。だから咲、お前を俺はここに引き寄せた」
「なんで私だったのよ?決まっている…咲、お前はこの世のものではないものが見えているな?しかもそこの少年お前だ」
「「っ!」」
図星すぎて俊も私も驚きが隠せない。神様に、隠し事は無理らしい。
「あぁそうだよ。俺も咲も幽霊が見える。それは父親と母親もそうだからだ」
「知っている。月子と大輝だな…懐かしい」
最後の北斗の言葉はボソッと言っただけでうまく聞き取れなかった。
「幽霊が見えるから、私たちに協力して欲しいってこと?」
「その通りだ。俺の力を奪ったのは死神なんだ。だがら、幽霊が見えるお前たちと行動を共にすれば奴らに会えると思ってな」
「死神なんて…俊、見たことある?」
「いや、俺もない」
「そうか…だが奴は必ず現れるはずだ」
北斗は私たちには死神が見えないと分かり、なんだか元気がなくなってしまった。
「でもさ!困ってるんだったら手伝うよ!」
「咲!死神なんだぞ。分かってるのか?」
「うん…確かにちょっと怖いけど、私だって北斗さんに命を救ってもらったわけだし!恩返しって事で!」
自分でも軽い事だと分かっている。俊に迷惑をかけることも。でも、ここであったのも何かの縁かもしれない。何より、困っている人は見放してはいけない。母からの教えだった。
「咲…しょうがない、心配だから俺も付き合う」
「俊!ありがとう!」
満面の笑みで答えると、俊は真っ赤な顔で固まってしまった。そんなところも私の弟は本当に可愛い。
「そうか、やってくれるんだな!」
「うん!頑張ろう!」
「じゃあ俺の世話も頼む!」
「「は?」」
聞き間違いだったかもしれない。世話?世話って言った?この神様?そう思った瞬間に北斗は視界から消えた。
「えっ?どこ?どこいったの?」
「ここだここ!下を見ろ!」
なんだか可愛らしい声が下から聞こえてきて、見ると、
「えええ!!?小ちゃい!」
「ど、どういうことだ?」
「ははっ!今日からよろしくな二人とも!」
そこには可愛らしくにこにこ笑う3歳くらいの小さな男の子がいた。何が何だか分からない。私はまたこんな所来るんじゃなかったと後悔した。

「ここが咲の家だな!つき…母はどこだ?挨拶したいのだが」
「あぁ、お母さんは外国だよ」
「異国だと!?」
「親父もその付き添いだ」
なんだか寂しそうにしている北斗さん。そんなに両親に会いたかったのだろうか。
「それにしても可愛い!」
「そうか?咲が気に入ってくれて良かった!」
そう言ってギュッと抱きしめると何とも言えない心地よさに包まれた。抱きしめて、褒めたことにより北斗の機嫌も治ったようだ。
「咲、本当にこいつの面倒見るのか?」
「うん」
北斗に頼まれたのは自分自身の世話だった。なんでも彼は、力を死神に奪われてからは、元の青年の姿を維持するのが難しくなってしまったらしい。そのため、この3歳児の姿が一番なんだとか。
「そうだ咲!俺のことは好きに呼んくれていいぞ!」
「うん!そーだなぁ…じゃあ北斗君!」
「俊も北斗でいいからな!俺も俊と呼ぶ!」
「もうなんでもいいよ」
俊も徐々にこの状態を受け入れてくれているようだ。ふと、思い出したことを口にする。
「北斗君は私たちが学校の間どうする?」
「そうだ。そのことを忘れていた、危ない危ない。俺も明日から学校に行くからな!」
「「ええっ!」」
まさかの展開すぎる。この格好のまま行ったらすぐに怪しまれるだろう。
「ど、どうしてそうなるんだ!」
「まぁ、落ち着け俊」
「俺はいつでも冷静だ!」
「実はな、俺はあそこの生徒なんだ」
「どういうこと?」
生徒ということは卒業生なのだろうか?
「俺は今もあの学校に通っている!保健室登校ってやつだけどな」
「ふぇ?北斗君って何歳なの?」
「俺か?俺はまぁざっと100年は生きてるな」
神様だから当たり前なのかもしれない。でも、保健室登校はする必要がないんじゃ…
「じゃあ尚更なんで学校なんて…」
「俺はあそこの学校の守り神として祀られていた。最初は校門のあたりに社があったのだが…
工事を重ねるうちにいつのまにか、あの暗い丘の裏に俺は祀られるようになってしまった」
そんなことがあったとは全く知らなかった。おそらく、学校の生徒でもあの場所は知らない人が多いだろう。…だから、私にあった時にあんなに嬉しそうだったのかな。
「だが、それを変えたのが今の校長との出会いだ!あいつは俺に学校で生徒たちを見守ってほしいとお願いにきた。あいつにも俺が見えていてな。そうして俺は保健室に通いながら生徒たちの成長を見届けてきたのだ」
守り神として祀られていた北斗君。きっと今の校長先生に会うまではずっとひとりぼっちだったのかもしれない。そう考えると自然と頬が涙で濡れていた。
「おい咲!なんでお前が泣くんだ!」
トコトコと小さな体でこっちへ走ってくる彼はあまりにも小さい。こんなに小さい体で、思うように力が使えないまま何十年もあの場所で、一人でいたのだろうか。そう考えると涙が勝手に溢れて止まらない。
「北斗君…ごめんね。気づいてあげられなくて…これからは私がそばにいるからね。一人になんか、寂しい思いなんかさせないからね」
「咲…」
小さな体を抱きしめると、肩が震えていた。そのまま彼は私の肩に顔を埋めてきた。そして、そのまましばらく抱き合っていると、俊がティッシュの箱を持ってこちらへきた。
「お前ら…ひどい顔だぞ」
「しょうがないじゃん!ズビッ…俊も泣いていいんだよ!ほら、お姉ちゃんの胸に飛び込んでこい!」
「っ…ばか!んなことできるわけないだろ!」
真っ赤な顔をした俊を見てなんだか笑えてきてしまった。
「ふふふっ。俊顔真っ赤だよ」
「さ、咲こそ涙と鼻水でぐっちゃぐちゃだっつうーの。ほらこっち向け二人とも」
チーンと北斗君と一緒に俊に鼻を噛んでもらう。いつのまにか北斗君も笑っていて安心した。
「北斗君…これからもよろしくね」
「よろしく頼むぞ咲!俊!」
「うん!」
「全くしょうがねぇな」
なんだかうまくやっていけそうな気がしてきた。そんな日だった。明日からはもちろんまた、学校だ。

「咲ー!起きろー!」
ボブっと音を立てて私の布団に飛び込んできたのは、見た目は小さいけど本当は、100年も生きている三歳児の姿の北斗君だ。
「ううんー?あ、おはよう北斗君」
「はやく起きろ咲!俊と待ってるからな!」
にこにこと笑いながら、ドアを開けたまま下へ降りていく彼の足取りは軽い。
…よっぽど学校に一緒に行けるのが嬉しいんだろうなー。そんなことを考えながら制服に着替えて下に降りた。
「おはよう俊」
「おはよう…はやく食べろよ?遅刻する」
「はーい。北斗くんは?」
「あいつなら…あっち」
俊が指を刺す方を見ると、少年の姿になり制服を着こなす北斗くんがいた。
「わあっ!制服似合うね北斗君!」
「そうだろ?でもやっぱり…」
ボンと音を立てた1秒後には彼はまた、3歳児の体になっていた。制服も何故か小さくなっている。
「こっちの方が楽だな、学校ではちゃんと本当の体でいるから安心してくれ!」
「うん。あっ!ねぇ、お弁当みんなで屋上で食べない?」
「屋上でか?なんでだよ」
「なんでそんな意地悪そうな顔すんのよ!じゃあいいもん!北斗君と二人で食べるから!」
「なんでそうなるんだよ!…分かった俺も行く」
「やったー!じゃあ北斗君も来てね!」
俊と私のやりとりをぽかーんとして見ていた、彼も今はにっこにこだ。
「あぁ!ありがとう咲!俊!」
3歳児の姿のまま、私の足に抱きついてくるその姿は天使にしか見えない。
「良かったー。喜んでもらえて!さぁ、朝ごはん食べよっか!」
「「「いただきます!」」」
小さな姿だとテーブルが高すぎるので、今の北斗君の椅子は私の小さい頃の椅子だ。フォークとスプーンも新しく、昨日買い揃えたものだ。
「うまい!俊は天才だな!」
「だよねぇ。私よりうんとおいしいよう〜」
北斗君と俊の朝ごはんを褒めあっていると、やっぱり俊の顔は真っ赤だ。褒められることが珍しいからだろう。
「…分かったから…早く食え」
「「はーい!」」
私と俊の二人きりだった食事の時間も、北斗君一人が増えるだけで賑やかだ。北斗君の方を見ると、小さな顔にいっぱいお米をつけていた。姿が子供になると、行動にも影響するらしい。
「ふふっ、北斗君いっぱいほっぺたについてるよ!」
「んんっ!すまない咲。全く気づかなかった」
「ほら、これ使え」
俊に渡された布巾で顔を拭いてあげると、食べるのに邪魔なものが無くなったからか、残りのご飯もあっという間に食べ終わってしまった。
俊も食べ終わったようで、洗い物をしてくれている。
「ごめんー!私だけいつも遅くって!」
「いいから、ちゃんとごっくんしろよ」
「はぁ〜い!」
可愛い!俊がごっくんって!言った!たまにある、無意識のこういう言葉が大好きなんだよなぁ。思わず顔がにやける。そんなこんなしているうちに、あっという間に8時だ。
「やばい遅刻するー!」
「咲!鞄ここ!」
「あっ!ありがとうー!」
俊がいつも鞄と自転車も出しておいてくれるので、安心だ。本当は私がお姉ちゃんらしく、やってあげる側の立場なのに!明日こそ早起きしなきゃ!
「咲、俊。俺は後から行くからな」
「うん!分かったよ。じゃあお昼ね!」
「あぁ!楽しみだ!」
北斗君は私たちが行った後に歩いて来るらしい。北斗君に手を振って自転車を漕ぎ出した。
「ねぇ、俊」
「なんだよ」
「今日さ、先生が転校生が来るっていってなかったけ?」
「確かに言ってたな」
「それってさ…あの子だったりする?」
私が指を刺す方を俊も向く。横断歩道の反対側にはうちの学校の制服を纏った女子生徒がいた。そして、その後ろには霊もいる。
「咲…あの霊、見たことあるか?」
「ううん、ない。あれは…悪霊?」
彼女の後ろには男の霊がついている。それも、かなり黒い、つまり悪霊のようだ。何故彼女が転校生か分かったのは、学校内でもあんな悪霊をつけている人間を見たことがないからだ。
「やばいよ俊!あの子こっちに来る!」
「落ち着け…。いいか、悪霊またはあの女に話しかけられても、無視しろよ」
「う、うん」
信号が青になり、彼女がこちら側へ歩いてくる。一歩近づくごとに恐怖しかない。俊が私を庇うように自転車ごと彼女の方へ止めてくれた。俯く彼女の表情は見えない。そして、こちら側へ彼女はきた。
「ゔうう。あぁぁぁぁ!ぅゔゔ」
彼女ではなく、取り憑いている悪霊の方から威嚇するような声がする。怖くて今にもにか逃げ出したいところを堪える。そして、こちらの信号が青になり、やっと渡れるようになった。
「咲…」
俊が小声で合図を出したのと同時に自転車のペダルを踏み込む。
「た、助けて…」
「えっ…」
ぎゅっと制服の袖を掴まれる。動きたいのに動けない。体が震えてきた。落ち着け、何か困ってるのは彼女だ。悪霊がついているからって、無視はできない。
「俊…」
俊も私が掴まれているのに気付いた様子だ。後ろを振り返り自転車から降りてこっちへ歩いてくる。
「手を…離せ」
「た、助けて」
「離せ…話はそれからだ」
こんなに怒っている俊を見るのはいつぶりだろうか。俊が彼女と話してくれたおかげで、彼女の手から私は解放された。足が震えて、今にも座り込みそうになる。それに気付いたらしい俊が体を支えてくれていた。何十秒か経った後、やっと彼女は話し始めた。
「あのっ…信じてもらえないかもしれないんですけどっ…」
「なんですか?」
俊が落ち着いた表情で受け答える。
「何か私の後ろに…いるんです」
確かにいる。それも悪霊がだ。だけど彼女にはその姿も声も聞こえていないらしい。私たちが答えられずにいると、また話し出した。
「私引っ越してきたんです。前の家の時も後ろに違和感があってっ…でも、全然離れなくって…怖いんです…。今日も絶対何かいるんです」
怖いに決まってる。日頃から霊を見ている私ですら怖いのだ。
「いる」
「っ!俊!」
俊があまりにもあっさりと本当のことを言ってしまうので思わず口が出てしまった。俊を見ても真っ直ぐと彼女の方を向いたままだ。
「いるんですか?本当に…?」
「あぁ、いる。お前の後ろにな。でもなんで俺らに尋ねた?」
「いるんだ…やっぱり…。あっ!なんでかは、そちらのお嬢さんが私の後ろを気にしてくれていたからです」
「は?まじか咲」
「あはは、実は朝から変な感じがするなぁって思ったら本当に悪霊いるんだもん!俊に知らせる前にこの子と目があっちゃって…」
「あはは、じゃねえよ。もっと早く言えよバカ姉貴」
「うっ!ごめん」
「うふふ、仲がよろしいんですね。…とにかくありがとうございました。本当のことを教えてくれて。私は今日からこちらに通う2年の斉藤麻里です。よろしくお願いいたします」
「うん!よろしくね!私は2年2組の川田咲です。こっちは弟の俊で、1組だよ」
「…よろしく」
「よろしくお願いします!」
後ろの悪霊のせいで暗い子かと思ったら、笑った顔が可愛らしい女の子だった。しかも、言葉は全て礼儀正しい。髪も長いストレートのロングで羨ましい。
「っていうか時間やばい!麻里ちゃん!早く俊の後ろに乗って!」
「えっ!」
「なんで俺なんだよ!」
「いいから早く!初日から遅刻じゃ麻里ちゃんかわいそうだよ!」
「分かったよ…乗るなら早く乗れ」
「は…はい!」
いつのまにか足の震えは収まっていて、私たちはそのまま校門を目指した。

「着席しろー!今日は転校生がいる。静かにしなさーい!…それじゃあどうぞ入って」
「はい」
小さい声だけどその声は教室に響き渡った。
「初めまして。斉藤麻里です。仲良くしていただきたいです。よろしくお願いいたします」
パチパチと拍手に包まれて、教室に入ってきたのは麻里ちゃんだ。どうやら、私と同じ二組らしい。
「可愛い…」
「お嬢様だー…」
男子からも女子からも第一印象はいいらしい。すぐにクラスに馴染めそうだ。だけどその後ろの悪霊が彼女を苦しめているのも事実。
「咲!あの子ちょー顔ちっちゃいね〜!」
「うん。可愛いね」
菜乃にもやはりあの悪霊は見えていないらしい。見えない方がいいのだけれど。
「うゔ…あぁ」
後ろの悪霊は私たちの方を睨みながら、唸っている。
「今日もいつも通りに過ごすように」
そう言って担任は出て行った。その途端、麻里ちゃんの席に人だかりができる。そのまま私は誰にも気づかれないよう、教室を後にした。
「どうだ?」
「俊…麻里ちゃん、大丈夫ぽいよ」
廊下に出ると待ち構えていたらしい俊がこちらの教室を覗いていた。
「そうじゃない。お前は大丈夫か?これから毎日あの悪霊と同じ教室なんだぞ」
「もう…考えないようにしてたんだから言わないでよ…」
そう、これから毎日あの悪霊と一緒。でも、麻里ちゃんが一番可愛そうだ。
「あのさ俊…北斗君に、相談してみない?」
「あぁ、俺もそう思って出てきた」
「保健室にいるのかな?」
そう思い階段を降りようとすると、
「咲!俺ならここだぞ!」
「うわあっ!ほ、北斗君」
上から声が降ってきたのでびっくりして、階段から落ちそうになってしまった。だけど、落ちずに無事なのは、私のことを北斗君と俊が腕を片方ずつ掴んでくれていたからだ。
「びっくりさせるな!咲が怪我するだろ」
「すまない…そこまで驚くとは」
「いや、私も悪いから!それより、北斗君もう来てたんだね」
申し訳なさそうな顔をして、こっちを見ていた北斗君の顔が真剣な顔に変わる。
「何か…気配がしてな。それも良くないものだ。俺はこの学校の守り神だからな。すぐに分かったよ」
「もしかして…麻里ちゃんかな?」
「麻里?そいつが悪い気配の元凶か!」
「違うんだよ北斗君!悪いのは麻里ちゃんに取り憑いている悪霊なの…」
慌てて誤解を解く。
「そのことを伝えに、俺らはお前のところに行こうとしてたんだ」
「そうだったか…悪霊か…」
北斗君の顔は険しいままだ。だけど、すぐにその表情を変えて、笑いかかながら言った。
「とりあえず、お昼になったら会おう。話はそれからだ。授業に遅れるぞ!」
「そ、そうだった!じゃあまたね北斗君!」
北斗君と俊と別れ、教室に戻るとまだ、だ麻里ちゃんの机の周りはクラスメイトでいっぱいだ。麻里ちゃんも質問に丁寧に答えている。
「はい。趣味は手芸なんです!こちらにも家庭科の授業はあるのですか?」
みんな授業が始まるのを、分かっていないようだ。
「こらぁ!早く席につけ!」
ついに先生が教室に入ってきて、私たちは怒られてしまった。そのまま授業の半分はお説教で埋められた。麻里ちゃんもなんだか俯いて申し訳なさそうだ。麻里ちゃんのせいじゃないのに…。

「咲ー!行くぞ」
「うん!」
お昼の時間になると、俊が呼びにきてくれた。なんだかんだ私の我儘に付き合ってくれる彼は、本当に自慢の弟だ。
「あのっ…、私も一緒によろしいですか?」
気づくと俊の横にはお弁当袋を持ち、俊の制服の袖を掴む麻里ちゃんの姿があった。
「あんたは…咲、どうする?」
「えーっと…」
これから会いに行く北斗君は、学校では少年の姿だから疲れてしまい、三歳児の姿の方が楽かもしれない。麻里ちゃん、そしてその後ろの悪霊にもいろいろとバレてはならないことが多すぎる。正直連れて行けないというのが本音だ。
「お願い至します!咲さん!」
「ううっ!」
可愛いというか、もはや美しいレベルの彼女の上目遣いは心臓に悪い。助けを求めて、俊に視線を送る。
「…悪い。俺らはお前とは食べられない」
「な、なんでですか?」
「それは…」
流石の俊も言葉に詰まっていると、今度は私の袖が引っ張られた。
「麻ー里ちゃん!私と一緒に食べない?」
「菜乃…」
にこにこと笑いながら、麻里ちゃんに話しかけているのは、友達の菜乃。
「川田さん…」
「あのねぇ、麻里ちゃん!この二人、これから委員会の仕事が入っててね〜。だからさ!私と一緒に食べようよ〜!咲がいなくて寂しかったんだ〜!」
落ち込んでいた麻里ちゃんも少しずつ表情が明るくなっていく。そして、ハッとしたように
「委員会!そうでしたか、申し訳ありません。何も知らなくて…」
「全然い…ぎゃあっ!」
「いいのいいの!咲のことなんかほっといてさ!ほら、こっちきて食べようよ!実は私も、裁縫大好きなんだ〜」
私の言葉を遮るように、私に体当たりをしてから麻里ちゃんの背中をグイグイ押していく菜乃。一瞬こっちを向き、指で行ってこい!と表してくる。それに応えるように、私も両手を合わせてありがとうの意思を送る。
「咲、今のうちに…」
「ごめん麻里ちゃん!…行こう!」
二人に気づかれないように、そおっと教室から出て、階段を降りて保健室を目指す。
「はぁー、悪いことしちゃったなぁー」
「こればかりはしょうがない。それに、これはあいつのためにもなるんだからな」
「うん!そうだよね」
北斗君を迎えに行くべく、保健室の扉をそおっと開けると中には誰もいないと思ったら、彼がいた。一番奥のベットですやすやと眠るのは、三歳児姿の北斗君だ。どうやら、保険の先生は教務室らしい。
「おい!起きろ!」
そんなに大きな声で言わなくても…とも思ったが、お昼休みも時間はあまりないので、起こすしかない。
「北斗君ー、来たよー!起きてー」
優しくその小さな体をゆすると、
「んんっ、咲?」
まだ寝ぼけている様子の北斗君と目が合う。
「おはよう、北斗君。お昼になったから、来たよ!」
「あぁっ!そうだったな、すまないついつい居眠りをしてしまった!」
北斗君はがばっと起き上がると、私たちに近くに置いてある椅子に座るように言った。お弁当を開きながら、私たちは話すことにした。
「それで、あの悪霊のことだが…北斗はどう思う?」
以外にも、話し始めたのは俊だった。
「そうだなぁ…二人にはあれは悪霊に見えているようだが…あいつは間違いなく死神だろう」
「死神?!死神ってあの北斗君の力を奪ったっていうあの?」
隣の俊の目も見開かれている。
「そうだ。二人には悪霊に見えているらしいが、元は死神…そういえば通じるか?」
「通じねぇよ、どういうことか俺らにも分かるように説明してくれ」
真剣な目で北斗君は話し始めた。
「二人が見えている姿は黒い霊のようなものではないか?」
「そうだと思う…」
「やはりそうなんだな…だが、俺にははっきりとあれは鎌を持った死神にしか見えていない」
「なぜだ?」
「二人が俺と一緒にいるところを死神は見たのだろう。だから、警戒されると思い二人には悪霊と見えるようにしているのだと思う。現にあれくらいの死神なら俺でも追っ払えるからな」
今になってやっと気づいた。死神が麻里ちゃんについている。それはつまり…
「麻里ちゃんは…死んじゃうってこと?」
「…そういうことになってしまうな」
重い雰囲気が漂う。みんな箸が止まっている。
「でも、北斗なら追っ払えるだろ?」
「すまない…それは俺が力を持っていた頃の話だ。今の俺にはどうすることも…」
「…っ!そんなのって…そんなのってないよ!」
あんなにお上品でお人形さんよりも美しい顔で、コロコロと表情を変える麻里ちゃんが死んでしまうなんて、考えたくもなかった。
「なら、北斗の力をあの死神から奪えばいいだけのことだろ?」
「そ、そっか!」
俊と二人で北斗君を見つめるが、彼の表情は固いままだ。
「それができていれば俺もやっているさ…ただ、俺の今の力では奴は倒せないだろう。なんせあいつも神なのだから。力のない俺と奴とでは天と地程の差がある」
「そんな…」
北斗君の表情を見て、悔しいのが痛いほど伝わってくる。
「お前が駄目なら…俺らがやればいい」
「俊?」
考えもしなかった考えに、私と北斗君は顔をあげて俊をみる。
「俺らだって親から色々習ってたしな」
「習っていたとは…何をだ?」
「俺はちょっとした術を、そして咲は剣術だ」
北斗君の見開かれた目がさらに大きくなり、その瞳は揺れていた。
「そうだよね…私たちにも出来るかも!それに…このまま何もしないのは絶対に嫌だ!」
「だよな」
俊もその気のようだ。
「俺は…何もできないんだぞ。いざという時には体でしか、二人を守ってやらないんだぞ…。それを、分かっていて二人はやってくれるというのか…?」
今にも泣きそうな北斗君は、自分の不甲斐なさを申し訳なく思っているようだ。綺麗な青色の瞳に涙をいっぱい溜めている。
「やるに決まってるよ!もちろん怖いけどさ…麻里ちゃんのこと助けてあげたい!…俊も協力してくれる?」
「俺から言い出したことだ。最後までやるよ」
「俊…それでこそ私の弟だよー!」
嬉しさのあまり、お弁当箱をひっくり返しそうな勢いで彼に飛びつくと、彼の顔は予想通り真っ赤だ。
「い、いきなり抱きつくな!バカ咲!」
「ありがとう〜!」
しばらく俊と戯れていると、可愛らしい笑顔が視界に入る。
「あはは、本当に仲のいい兄弟だな!…二人が決めたんだ。俺も全力で協力しよう!…早速今日から特訓だな!」
「「特訓?」」
「当たり前だ!相手は死神だぞ、今のままでは絶対に勝てない!」
「絶対に!?」
「あぁ、絶対にだ!だから、今日から二人を俺が特訓して、絶対に死神に勝てるようにしよう!あの少女のためにも!」
麻里ちゃんを救いたい。その気持ちは三人変わらない。
「うん!頑張ろー!」
「静かに!ここは保健室よ!」
三人で後ろを振り返ると、鬼のような顔でこちらを睨んでいる女の人。
「り、里香」
北斗君の呟きでわかった。この女の人は保健室の先生、里香先生だ。大学生のようにも見えるほど若く見える。黒いショートカットで白衣から伸びている長い足は高い身長をより際立てている。
「もう!あなた達、ここが保健室だって分かってんのよね〜!?私が居ないからって!」
「「す、すみませんでしたー!」」
俊と私が一緒に謝ると下げた頭の上に優しい手がのってきた。
「分かったならよろしい!もー、こうなったのは北斗さんのせいなんでしょ!ちゃんとしてくださいよ!」
「す、すまない里香。」
「ほら、二人は授業あるでしょ!早く遅れないように行きなさい!」
「はい!…じゃあまたね北斗君」
「あぁ、授業頑張れよ!」
半ば強引に保健室から追い出されてしまった。俊と一緒に大人しく教室へ帰る。
「特訓か〜。最近運動不足だから頑張んないとな〜。俊も術を使うのは久しぶりでしょ?」
「そうだな。俺も特訓しないとな」
俊も真剣だ。私も負けてられない。
俊と別れ、教室へ戻ると麻里ちゃんが走ってきた。勿論その後ろにはあの死神も一緒だ。
「咲さん!先程は委員会のお仕事をお邪魔するような真似をしてしまい、本当にすみませんでした!」
「そ、そんな!麻里ちゃん全然悪くないよ!頭あげて!大丈夫だから〜」
ペコペコと頭を下げる麻里ちゃんと話していると、その後ろから菜乃が顔を出した。
「そうそう!麻里ちゃんが悪いんじゃなくて咲が悪いんだから〜、それに麻里ちゃんと話せて楽しかったなぁ〜」
先程助けてくれたお礼を視線で伝えると、勘のいい菜乃は全てを察してくれたようで、いつも通りの笑顔を見せてくれた。
「早く席につけ〜!咲、教室こそは居眠りするなよ!」
「は、は〜い」
若干睨まれつつ、席に着く。早く学校が終わればいいのに。そうすれば早く特訓もできて、麻里ちゃんを少しでも早く、助けてあげられるのに。そんなことを考えている間に時間は進み、いつのまにか放課後になっていた。