本当の恋とは言えなくて

秋晴れの朝、駅からまっすぐに延びる歩道の脇に並んでいるハナミズキの葉がキラキラと輝いて見える。紅葉し始めた葉は程よく赤みをおびていてとても綺麗だ。秋の朝の住んだ空気に良く栄えている。

(気持ちいい!今日はお散歩日よりだぞ)
そんな風に考えながら保育園があるオフィスビルに向かって歩いていた。

あれ以来、駒山さんをホテルの前や近くで見かけたことは一度も無いのに、なぜか毎日ホテルの方を見るのが日課になってしまっていた。
(副社長だもん。他の社員やスタッフのように接客することなんて無いよね。きっとホテルの中のどこかでお仕事しているはず。)
そう思い直してまた前を見て歩き始めたとき、オフィスビルの入り口にたっくんを抱いた駒山さんとそれに寄り添うように立つ麗子さんの姿が見えた。ドキッとした。その姿はハッと目を引くほどだった。保育園で鉢合わせしたあの日、少し感じた。この二人もしかしてお似合いかも…と。今、あらためて思った。やっぱり…。

二人に見とれて一瞬立ち止まってしまった足を少し強く踏み出して前に進む。

近づくと何だかただならない雰囲気に気づく。
寄り添っているように見えた麗子さんは両手を口に当てて明らかにうろたえているような表情で駒山さんの抱いているたっくんをのぞき込んでいる。駒山さんもぐったりとしたたっくんを心配そうに抱きしめている。

小走りで近づき「おはようございます!どうかされましたか?」そう声をかけた。

「紬先生!卓が!卓が!」そう震える声で繰り返す麗子さんはパニックになっている。

「朝家を出る時には平熱だったけど、出勤する車の中で急に苦しそうに震えだして…ここに着いたときには意識がなくなっていたそうだ。しかも体がすごく熱いんだ。」たっくんを抱く駒山さんの手が細かく震えている。

私はすぐにたっくんのおでこと首筋に手を当て体温を確かめた。
「たっくん?たっくん?」 呼びかけても返事が無い。

「私の感では40度近くあります。おそらく急に体温が上がった時に熱性痙攣を起こしてしまったんだと思います。」

「熱性痙攣?!卓は大丈夫なんでしょうか?!」麗子さんが震えながら私にすがりつく。

「卓…頑張れ卓!」たっくんを励ます駒山さん。

「園医でもある朝日奈医院の先生は多分もう出勤されています。事情を話したらきっと診察してくれますよ。」
朝日奈医院はオフィスビルのすぐ横にある。

園長先生に電話して事情を説明すると、保育には園長先生が入るから私はたっくんたちについておくようにと言われた。

「私も一緒に行きます。さあ、駒山さん。たっくんをなるべく揺すらないで朝日奈医院まで運んで下さい。お母さん、大丈夫ですよ。」二人を朝日奈医院まで誘導した。


まだしまっている病院入り口のインターフォンのボタンを押す。しばらくして「は~い」とのんびりした返事が聞こえた。
「朝日奈先生!紬です。急患です。高熱で、熱性痙攣を起こしてしまったようなんです。助けてください!」

「つむちゃんか?!待ってて」
そう言うとインターフォンが切れてガチャリと入り口の鍵が開く音がした。

「患者を中へ。」すぐに朝日奈先生が出てきてくれた。

たっくんを診察室のベット寝かせる。
「後は任せて。つむちゃん達は待合で待っといてね。」

「先生、お願いします!」

「大丈夫だよ、つむちゃん。」優しい笑顔でそう言うと診察室のドアをパタリと閉じた。

振り向くと、駒山さんが憔悴しきっている麗子さんの肩を抱いて待ち合いの長椅子に座るよう促しているところだった。

今日もスーツをパリッと着こなしている二人。憔悴していても美しい横顔。心配そうに見つめる凛々しい瞳。 不謹慎だけど見とれてしまった。

しばらく無言のまま私は診察室入り口横の壁に寄り掛かって立ち、駒山さんに抱きしめられている麗子さんは二人一緒に長椅子に座って診察が終わるのを待った。

診察室のドアががチャリと開いた。
「もう大丈夫ですよ。つむちゃんの言う通り、やっぱり熱性痙攣だな。急に熱が上がって体が悲鳴をあげたんだ。」
朝日奈先生が出てきてそう言う。

「本当ですか?卓は大丈夫なんですか?」

麗子さんが朝日奈先生にかけよりすがり付く。

「あぁ、大丈夫ですよ。でも、念のため入院して様子を見た方がいい。第一病院を紹介しよう。」
麗子さんの背中をさすりながら安心させるように言う。

「朝日奈先生、ありがとうございました。」

「何のこれしき!可愛いつむちゃんのためなら何でもないよ。」
頭を撫でながらそう言われ

「もう!子どもあつかいしないで!」
ぷうっとむくれて見せる。

「ぷぅっとするとますます可愛い」

そんな風に言われて嬉しくて思わず笑ってしまった。

朝日奈先生は母親の知り合いで、幼い頃からとても優しくしてくれていた。

「点滴が終わってから第一病院へ運ぶとしよう。お母さん、車とか…」

「はい、あります。」

「それじゃあ、もう三人も着いていなくても大丈夫だよ。お母さんに残ってもらって…あなたは…お父さん?」

「あっ、いえ、母親の友達です。」

「ああ、友達か。失礼。じゃあ、友達とつむちゃんは良かったらもう仕事に戻る?」

「紬先生、ありがとうございました。もう大丈夫なので、仕事に戻ってください。一翔も。」
麗子さんに申し訳なさそうに言われ、心配だったが仕事に戻ることにした。

「麗子、何かあったらまた遠慮せずに連絡して」駒山さんは優しく声をかけ、点滴をしてもらいながらスゥスゥと寝息をたてているたっくんの手を握り頭を撫でてから病院を後にした。