本当の恋とは言えなくて

気がつけばいつの間にか私のマンションの前まで着いていた。

いったいどのくらい時間が経ったのだろう…

あの後武井さんが車に乗せてくれたのは覚えている。

「大丈夫?」
心配そうな声が聞こえて運転席を見ると優しい表情でこちらを見る武井さんがいた。

「ごめんなさい、私…」

「今日はゆっくり休むといい。部屋まで送ろうか?」

「いえ、大丈夫です。ホントに…ご迷惑をおかけしました。」
頭を下げてシートベルトを外した。

「落ち着いたら連絡して。以前名刺を渡したよね。」

「…はい。ありがとうございました。」

お礼もそこそこに武井さんと別れた。

早く一人になりたかった。
部屋のドアを開けると待ち構えていたように母親が立っていた。

「紬…。」


「…お母さん。」取り繕うように笑顔を作る。

「話しがあるの。座って。」

リビングのこたつを挟み、母親と向き合って座る。
壁際に立て掛けてある姿見に映る自分の姿がやけに惨めに見えた。

今日家を出る前にはあんなにウキウキした気持ちで見ていたのに…

「…今日4時過ぎにお母さんが家に帰った時…」重い口を先に開いたのは母だった。

「玄関先でお会いしたの…。」

ごくりと唾を飲もうとしたがカラカラに乾いた喉で軽くむせてしまった。

「ケホケホッ…だ、誰に?」

「…駒山さんのお父様よ。」

だいたい予想は着いていたが、まさかお父様ご本人が来られるなんて…私達のお付き合いに対する反対がかなり本気なのだとわかる。

「あちらのお父様が反対なさっているかぎり、私だけが賛成するというわけにはいかないわ…残念だけど」眉を寄せて苦しそうにしかめたその表情からかなりひどい言われ方をしたのではないかと想像するのは容易だった。


「…うん、分かってる。ごめんね、心配かけて。でも…私達、実は偽装の恋人同士だったの。」
母親の辛そうな表情をこれ以上見ていられ無くて思わず秘密を明かしてしまった。

「え、えっ!?ど、どういうこと!?」

「だまっていてごめんなさい。実は…」

できるだけ簡潔に私達が偽装の恋人になった経緯を話した。

お互いに…いや、私が本気になってしまったことはのぞいて全てを明かした。


「…そんなことが…知らなくてごめんね。ストーカーとか…怖い思いしてたのね」
母は涙を手でぬぐいながら話を聞いてくれた。

「でも、駒山さんのおかげで大丈夫だったんだよ…」

「そうなのね…。お母さんてっきり二人は本物の恋人同士なのかと思ってた。騙されちゃったわ。」
安心したように微笑む母の顔を見て胸がチクリと痛んだ。

「ごめんね、駒山さんにも事情があって…嫌な縁談を断りたいから恋人役をして欲しい…って言われてね。お互いの利害が一致したから偽装の恋人役を引き受けたの。でも…今日婚約発表あったから…もう偽装の恋人役はお役御免かな…ハハハ」

なるべく暗くならないよう努めて穏やかに明るく話したおかげでこの話を母親は信じてくれたようだった。