本当の恋とは言えなくて

トイレからたっくんの手を引きながら出ると

「大丈夫?」

心配そうに声をかけられた。

「はるま!」

たっくんは嬉しそうに駆け寄り武井さんに飛び付いた。

「…武井さん…」
武井さんは私の顔を見るなり少し眉をひそめたが、すぐに笑顔になり「卓、会場には俺が連れて行ってやるよ。」と優しく微笑み、たっくんを連れて行こうとする。
「紬ちゃんはそのソファーに座ってて。」と肩をポンと叩かれた。
「…。」何も言えずにいる私にウインクをしてみせる。 

「…はい。」かすれる声でやっと返事をした。


ドサッと音を立てて廊下に置いてあるいかにも高級そうなソファーに腰かける。
回りきらない頭でさっきの出来事を考えていた。



『一翔さん…』松下さんがカズくんの事をそう呼ぶ声が耳の奥にこびりついて離れない。耳を両手できつくふさいだ。

その手がフワリと温かく包み込まれた。

ハッとして顔を上げると武井さんが私の足元にしゃがみ、手で私の手を包み込みながら心配そうに顔を覗き込んでいた。

「武井さん…。私…。」
何か言いたかったが何も言えずその代わりに涙がこぼれた。

「何も言わなくていいよ。」
武井さんはふんわりと包み込むような笑顔でそう言い、ハンカチをそっと差し出してくれた。

「ありがとうございます。」
かすれる声でやっとそう言ってハンカチを受けとる。

「紬ちゃんには笑顔が似合うから笑っていて欲しいけど、泣きたい時は泣いていいんだよ。でも…一人で泣かせたく無い。」
武井さんがかばうようにそっと抱きしめてくれた。

「春馬!おまえ!!」
怒りを露にした声が廊下に響いた。

武井さんが私を抱きしめる腕に力を入れる。

「一翔におまえ呼ばわりされる覚えも怒鳴り付けられる覚えも無いよ。怒鳴り付けたいのはこっちだ。」
きつい口調で言い 「紬ちゃん、行こう。」足に力が入らない私を支えながら立たせてくれた。


「紬!」

私を呼ぶ声が聞こえた気がしたが振り向かずそのままホテルを後にした。