本当の恋とは言えなくて

「副社長、少しお休みになってください。」
わずかにコーヒーの香りがする。

救急車で病院に運ばれた紬はまだ眠ったままだ。紬のベッドの横に座り、何もしてやれない自分を悔しく思いながらただ手を握っているだけで、どれだけの時間がたったかもわからずにいた。

「副社長？」
もう一度声をかけ、秘書の松下がコーヒーを目の前に差し出してきた。

「ありがとう。でも、まだ…」
紬の手を離したくない。紬の傍を離れたくない。

「フゥ…。ご心配なのはわかりますが、副社長も少しお休みにならないと。それに、男性に怖い思いをさせられたんです。いくら副社長でも同じ男性…目覚めた時男性が傍に居ると不安がられるかと。」

松下の言うこともわかる気がした。

紬は車に押し込まれた時に頭を打ち付けたせいか、または襲われたショックからか気を失ったままでいる。

「…副社長？」

「あぁ…そうだな。」力無く返事をして立ち上がろうとした時に病室のドアがノックされた。

「失礼します。警察ですが…少しお話を伺ってもよろしいですか？」

割腹のいい中年男性刑事、若手の男性刑事が立っていた。

(今紬が目覚めたら、この二人の男性刑事を見てパニックを起こすかもしれない。)そう思ったらこの場を早く離れないと、という思いに駆られた。

「松下、申し訳ないが紬をよろしく頼む。」

「はい、かしこまりました。」
いつもと変わらない笑顔でそう答える松下に少し安心し、カップコーヒーを受け取って病室を後にした。