母の顔を思い浮かべながらあれこれ考えているうちに車がマンションの地下駐車場に入っていった。
「…ここって」
いつも降りる駅のすぐ近くのタワーマンションだった。建設途中のマンションを見て、こんなとこに住んでみたいね、って里美と話してた、高級感があり、落ち着いた雰囲気の素敵なマンションだ。
「俺たちの職場から近いだろ」
「う、うん。すごく…いいマンションだね」
「築年数はまだ浅い方かな…ここからなら職場に近くていいでしょ?さ、降りて。」
こんな高級マンションに足を踏み入れていいのかどうか悩んでいるうちに、先に降りたカズくんが助手席のドアを開けてくれた。
「ありがとう。」
ぎこちなくお礼を言うと、カズくんがサッと私の荷物を持つ。
「大丈夫だから、自分の荷物くらい持つよ!」
あわてて荷物を持とうと伸ばした手をカズくんが握ってきた。
「やっぱり帰る、とか言われないようにしないとね。」いたずらっぽく笑って言う。
(そんな表情もできるんだ…。)
地下駐車場からすぐのエレベーターに乗り込む。
あ
「ここの15階だから。」
15階のボタンを押しながら言う。
「部屋の中、何も無いんだ。驚かないで。」
「え?」
最初はわからなかったその言葉の意味は部屋に入ってすぐにわかった。
部屋の中からは生活の匂いが何もしない。広いリビング。ただそこに大型テレビと、ソファー、ローテーブルがあるだけ。カウンターキッチンの前には四人用のダイニングテーブル。
まるでモデルルームの様。
「ここにはほとんど帰って無いから。」
エアコンのスイッチを入れ、スーツの上着を脱いでソファーにかける。
「職場からも近くてこんなに素敵なマンションなのに?どうして?」
思わずたずねてしまい、後悔する。
カズくんの表情が曇ったから。
「…お茶でも入れようか。紬はソファーに座ってて。紅茶でいい?」
「あ、うん!」
私の質問には答えない。それが『聞かれたくない』という答えだろう。
「少し甘いのも飲める?」
「うん。」
使用感が全くと言っていいほど無いソファーはフカフカだったが、レザーのせいか冷たく感じた。
「食べるものはほとんど無くて、こんなものしか出せない。」
そう言って差し出されたのは蜂蜜が入ったミルクティーだった。差し出されたカップを両手で包み込むと緊張で冷え切っていた手と一緒に心が温かくなるのを感じた。
優しい香りの蜂蜜ミルクティーを一口飲む。その優しい甘さが心に染み渡りなぜか涙が浮かんでしまった。
「ありがとう。美味しい。すごく…。」
私の表情の変化に気づいたのだろう、カズくんはそっと私の隣に寄り添うように座った。
「紬、さっきは本当にごめん。怖がらせてしまって。嫌な思いをさせたかもしれない。」
きっとキスの事を言っているのだと思った。何も言えず首を横に振る。別に嫌だと思ったわけでは無い。ただ驚いてしまって…カズくんの気持ちが分からなくて不安で…自分の気持ちに気づいてしまった。それだけなのに言葉に出来ない。
「紬を怖がらせないように、これからはなるべく紬に触れないようにする。」
無表情で、でも優しい声でそう言われ、胸がズキッと痛んだ。
(何を期待していたんだろう。)たった一回のキスで…自分が恥ずかしくなった。
「俺はここにはほとんど帰ってこないから、紬の好きに使って。ある物は自由に使ってくれたらいいから。」
「え?」
「寝室は一つしか無い。あの茶色いドアだから。」
「カズくんは?」初めての場所に一人で残される事への不安でカズくんのシャツをそっとつかんでしまった。
カズくんはその手をそっと外しフッとさみしげに笑う。
「まだ仕事が残ってるんだ。それに、言っただろ、俺はここにはほとんど帰ってないって。今夜もホテルに泊まり込みになりそうだから安心して。」
「…安心?」
「そう、安心してゆっくり休むといい。じゃあ、もう行くね。」
また無表情にもどりそう言うと、スッと立ち上がりソファーにかけていたスーツをサッと羽織る。
帰って来ないと言われた事と、もう行ってしまう事に不安と寂しさを感じたが、その思いを隠しなるべく笑顔で見送ろうと思った。
玄関まで見送りに行く。
「じゃあ、行ってきます。」
ピカピカに光った高級そうな革靴を履き、振り返って言うカズくんはこんな夜更けでも一ミリも隙の無いかっこよさだ。
さっきまでその高級革靴の横に並んでいた私の薄汚れたスニーカーが玄関にポツンと残されている。この高級マンションの部屋に残される私と一緒だと思った。
(いけない!明るく見送るんだった。)気を取り直して笑顔を作り、カズくんに向ける。
「行ってらっしゃい。」
元気よく笑顔で言ったつもりなのに、頬を涙が伝った。
「あれ、どうしちゃったんだろ。まだ酔いが覚めてないのかな私。」苦しい言い訳。
カズくんは私の方に手を伸ばしかけ、その手をすぐに引っ込めた。
一瞬頭を撫でてくれるのかと思った。お団子にまとめた髪の毛の上から大きな手で…。またフッと寂しくなる。
頬を伝った涙を手の甲で拭いながら目線を足下に落とす。
その時ギュッと抱き寄せられ、柑橘系の爽やかな香りに包まれた。
「そんな顔をされたら…俺…。」
カズくんの大きな背中に手を伸ばし、ギュッと抱きつく。いつの間にかカズくんの腕の中が、カズくんの香りが私を安心させてくれるようになっていた。大きく深呼吸をする。
「カズくんの香り、好き。抱きしめられると安心する。」心の声が漏れてしまう。こんなこと言うつもりは無かったのに。
ハッとしたように少し体を離し、目をのぞき込まれた。
「駄目だよね、こんなこと思っちゃ。」恥ずかしさと後悔でうつむく。
「紬、顔を上げて。」
顔を上げてしまうのは恥ずかしくて上目遣いにカズくんの顔を見上げる。
「ちゃんと顔、見せて」切ない表情でとう言うと両手で頬を包み、上を向かされた。
「もう、本当に自信が無い。気持ちを押さえる自信が…。」
カズくんはそうささやくと優しいキスをしてきた。
軽く触れるだけのキスを。
恥ずかしくて、でも嬉しくて、笑顔がこぼれた。
「もう、我慢しないよ。」
革靴を脱ぎ捨てると、私をいわゆるお姫様抱っこをして寝室に向かった。
「ちょ、ちょっと待って!」
あまりにも思いがけない事で頭がパニックになる。
私の言葉に口角を少し上げて見せたがそのまま寝室に入りベットにそっと優しく下ろされた。
「駄目じゃ無い。」
私を組み敷きながらそう言い、目をのぞき込むカズくんは、男の色気がムンムンしている。目をそらしたいがそらせない。
「駄目じゃ無い?」
「そう、駄目じゃ無い。俺に安心して。もっと、俺に体も心も預けて。」
そう言うとカズくんの美しい顔が近づいてきた。
私は何が何だかわからないまま目を閉じた。
「…ここって」
いつも降りる駅のすぐ近くのタワーマンションだった。建設途中のマンションを見て、こんなとこに住んでみたいね、って里美と話してた、高級感があり、落ち着いた雰囲気の素敵なマンションだ。
「俺たちの職場から近いだろ」
「う、うん。すごく…いいマンションだね」
「築年数はまだ浅い方かな…ここからなら職場に近くていいでしょ?さ、降りて。」
こんな高級マンションに足を踏み入れていいのかどうか悩んでいるうちに、先に降りたカズくんが助手席のドアを開けてくれた。
「ありがとう。」
ぎこちなくお礼を言うと、カズくんがサッと私の荷物を持つ。
「大丈夫だから、自分の荷物くらい持つよ!」
あわてて荷物を持とうと伸ばした手をカズくんが握ってきた。
「やっぱり帰る、とか言われないようにしないとね。」いたずらっぽく笑って言う。
(そんな表情もできるんだ…。)
地下駐車場からすぐのエレベーターに乗り込む。
あ
「ここの15階だから。」
15階のボタンを押しながら言う。
「部屋の中、何も無いんだ。驚かないで。」
「え?」
最初はわからなかったその言葉の意味は部屋に入ってすぐにわかった。
部屋の中からは生活の匂いが何もしない。広いリビング。ただそこに大型テレビと、ソファー、ローテーブルがあるだけ。カウンターキッチンの前には四人用のダイニングテーブル。
まるでモデルルームの様。
「ここにはほとんど帰って無いから。」
エアコンのスイッチを入れ、スーツの上着を脱いでソファーにかける。
「職場からも近くてこんなに素敵なマンションなのに?どうして?」
思わずたずねてしまい、後悔する。
カズくんの表情が曇ったから。
「…お茶でも入れようか。紬はソファーに座ってて。紅茶でいい?」
「あ、うん!」
私の質問には答えない。それが『聞かれたくない』という答えだろう。
「少し甘いのも飲める?」
「うん。」
使用感が全くと言っていいほど無いソファーはフカフカだったが、レザーのせいか冷たく感じた。
「食べるものはほとんど無くて、こんなものしか出せない。」
そう言って差し出されたのは蜂蜜が入ったミルクティーだった。差し出されたカップを両手で包み込むと緊張で冷え切っていた手と一緒に心が温かくなるのを感じた。
優しい香りの蜂蜜ミルクティーを一口飲む。その優しい甘さが心に染み渡りなぜか涙が浮かんでしまった。
「ありがとう。美味しい。すごく…。」
私の表情の変化に気づいたのだろう、カズくんはそっと私の隣に寄り添うように座った。
「紬、さっきは本当にごめん。怖がらせてしまって。嫌な思いをさせたかもしれない。」
きっとキスの事を言っているのだと思った。何も言えず首を横に振る。別に嫌だと思ったわけでは無い。ただ驚いてしまって…カズくんの気持ちが分からなくて不安で…自分の気持ちに気づいてしまった。それだけなのに言葉に出来ない。
「紬を怖がらせないように、これからはなるべく紬に触れないようにする。」
無表情で、でも優しい声でそう言われ、胸がズキッと痛んだ。
(何を期待していたんだろう。)たった一回のキスで…自分が恥ずかしくなった。
「俺はここにはほとんど帰ってこないから、紬の好きに使って。ある物は自由に使ってくれたらいいから。」
「え?」
「寝室は一つしか無い。あの茶色いドアだから。」
「カズくんは?」初めての場所に一人で残される事への不安でカズくんのシャツをそっとつかんでしまった。
カズくんはその手をそっと外しフッとさみしげに笑う。
「まだ仕事が残ってるんだ。それに、言っただろ、俺はここにはほとんど帰ってないって。今夜もホテルに泊まり込みになりそうだから安心して。」
「…安心?」
「そう、安心してゆっくり休むといい。じゃあ、もう行くね。」
また無表情にもどりそう言うと、スッと立ち上がりソファーにかけていたスーツをサッと羽織る。
帰って来ないと言われた事と、もう行ってしまう事に不安と寂しさを感じたが、その思いを隠しなるべく笑顔で見送ろうと思った。
玄関まで見送りに行く。
「じゃあ、行ってきます。」
ピカピカに光った高級そうな革靴を履き、振り返って言うカズくんはこんな夜更けでも一ミリも隙の無いかっこよさだ。
さっきまでその高級革靴の横に並んでいた私の薄汚れたスニーカーが玄関にポツンと残されている。この高級マンションの部屋に残される私と一緒だと思った。
(いけない!明るく見送るんだった。)気を取り直して笑顔を作り、カズくんに向ける。
「行ってらっしゃい。」
元気よく笑顔で言ったつもりなのに、頬を涙が伝った。
「あれ、どうしちゃったんだろ。まだ酔いが覚めてないのかな私。」苦しい言い訳。
カズくんは私の方に手を伸ばしかけ、その手をすぐに引っ込めた。
一瞬頭を撫でてくれるのかと思った。お団子にまとめた髪の毛の上から大きな手で…。またフッと寂しくなる。
頬を伝った涙を手の甲で拭いながら目線を足下に落とす。
その時ギュッと抱き寄せられ、柑橘系の爽やかな香りに包まれた。
「そんな顔をされたら…俺…。」
カズくんの大きな背中に手を伸ばし、ギュッと抱きつく。いつの間にかカズくんの腕の中が、カズくんの香りが私を安心させてくれるようになっていた。大きく深呼吸をする。
「カズくんの香り、好き。抱きしめられると安心する。」心の声が漏れてしまう。こんなこと言うつもりは無かったのに。
ハッとしたように少し体を離し、目をのぞき込まれた。
「駄目だよね、こんなこと思っちゃ。」恥ずかしさと後悔でうつむく。
「紬、顔を上げて。」
顔を上げてしまうのは恥ずかしくて上目遣いにカズくんの顔を見上げる。
「ちゃんと顔、見せて」切ない表情でとう言うと両手で頬を包み、上を向かされた。
「もう、本当に自信が無い。気持ちを押さえる自信が…。」
カズくんはそうささやくと優しいキスをしてきた。
軽く触れるだけのキスを。
恥ずかしくて、でも嬉しくて、笑顔がこぼれた。
「もう、我慢しないよ。」
革靴を脱ぎ捨てると、私をいわゆるお姫様抱っこをして寝室に向かった。
「ちょ、ちょっと待って!」
あまりにも思いがけない事で頭がパニックになる。
私の言葉に口角を少し上げて見せたがそのまま寝室に入りベットにそっと優しく下ろされた。
「駄目じゃ無い。」
私を組み敷きながらそう言い、目をのぞき込むカズくんは、男の色気がムンムンしている。目をそらしたいがそらせない。
「駄目じゃ無い?」
「そう、駄目じゃ無い。俺に安心して。もっと、俺に体も心も預けて。」
そう言うとカズくんの美しい顔が近づいてきた。
私は何が何だかわからないまま目を閉じた。



