本当の恋とは言えなくて

早番だったが明日の保育準備や書類仕事をしていたら帰りが遅くなってしまった。六時半を過ぎ、外はもう暗い。

「お先に失礼します!」

「紬先生お疲れ様でした。もう日が暮れかかってるから気をつけて帰ってね。」
園長先生が優しく声をかけてくれる。

「はい、ありがとうございます。失礼します!」

長袖Tシャツ、ジーンズにスニーカー、仕事用のエプロンを外しただけの服装はこの複合オフィスビルで働いているパリッとしたスーツの人が多い中では少し浮いてしまう。この保育園に勤め始めた頃はそれが気になり、わざわざ通勤用に少しおしゃれな服を用意していたが、今ではもうあまり気にならなくなり…と言うか、着替える労力がもったいなくて着替えは用意していない。
肌寒いので長袖Tシャツの上にパーカーを羽織り黒いバックパックを背負う。

エレベーターに乗ると今日出会った白と黒の二人を思い出した。
どちらも目を引くイケメンだったなぁ…でも、二人とも高級そうなスーツを着ていて、私とは住む世界が違いすぎる感じがした。

そんなことを思っているとスマホのバイブが震えているのに気づいた。

(あっ、里美だ!)
親友の、里美からの電話だった。
エレベーターに乗っているのは自分1人だったので電話に出た。

「紬、久しぶり!今日さ、時間ある?」

「里美~久しぶり!私、今仕事おわったとこ。ご飯でも食べる?」

「うん、じゃあ、いつものお店で!」

「OK!今からすぐ行くね。」

「じゃあ、後で。」

天野里美(あまの さとみ)は高校時代からの親友で私の職場のすぐ近くにある会社で事務をしている。時々こんなふうにお互いに誘い合って夕食を共にしている。

今夜は母親は夜勤で不在。夕食を一人で取るのは少しさみしいので誘ってもらえてラッキーだった。
母は看護師という大変な仕事に就きながら、愚痴もこぼさず女手一つで一人娘の私を何不自由なく育ててくれた。

里美といつも行くのは創作料理のお店。職場の向かいにある大きなホテルの横にあるこの公園を抜けると近道だ。早く里美に会いたくて暗い公園の中を通るのは少し怖いけれど、いつも散歩に出かけている慣れた場所だから…頭の上でふんわりとまとめたお団子を揺らしながら少し小走りする。

人気の無い公園に入って少しして後ろからサクサクと足音が近づいてくる事が気になり立ち止まった。振り向くと黒い影がサッと木の後ろに隠れたように見えた。

(誰かにつけられてるような気がしてちょっと怖い…)

気のせいかも、と思い直しさっきよりも足を速めて歩き始めた。

今度は遠くからカツカツと走る音が近づいてくるような気がしてさらに怖くなってきた。

公園の中には街灯もあるが、あまり明るい物では無く、街中にある公園にしては珍しく大きな木が生い茂っているからか、余計に暗く感じる。

(暗いから余計に怖いのかも。)

スマホで電気灯そうと思い、小走りしながらポケットからスマホを取り出そうとして石畳の出っ張りにつまづいてしまった。

「あっ!!」 (転ぶ!!)
手からスマホが滑って地面に落ちる音がした。

パリッ

スマホの画面が割れるような嫌な音はしたが、自分は転ぶことは無かった。

誰かが腕を引いて助けてくれたのだ。

「こんな暗い中走ったりすると危ないと思うんですが。」
引かれている腕の先から冷たい声がする。

「怪我は?」
手を離し、私の全身を確認するようにしゃがみ込むその人を目をこらしてよく見る。

「あっ、今日エレベーターでお会いした!」

足下にしゃがみ込んでいたのは今日エレベーターで偶然出会った黒髪の彼だった。

「すみません。あなたを助けるときに踏んでしまいました。」
そう言いながら立ち上がり、画面が割れてしまったスマホを拾って渡してくれた。

彼の手には画面に大きく幾筋もヒビが入った私のスマホがあった。明らかにガラスフィルムのその下の画面まで割れているのがわかる。

「いえ、大丈夫です。助けていただいてありがとうございました。」

お礼を言い、スマホを受け取るとき黒髪の彼が少し肩で息をしているように見えた。

「いつもこんな感じなんですか?」

唐突に訪ねられ、一瞬何の事かわからなかった。

「いえ、今日はちょっと用事があって急いでいたので公園を横切ろうと…」

「違う。いつもこんな感じでそそっかしく転びそうなのか?と聞いているんです。」

その言葉と冷ややかな言い方にカチンとくる。

「それはどう言う意味ですか?」
助けてもらったというのについついとげのある言い方をしてしまった。

「そんな感じで大丈夫なのか?と言う事です。」

(やっぱり感じ悪い!)

「だ、大丈夫です!助けていただいてありがとうございました。それじゃあ、私は急ぎますので。失礼します。」
腹も立っていたし、実際急いでいたのでお礼もそこそこ振り向いてに立ち去ろうとしたその時…

パシッと手を握られた。

「待って。また転んではいけないから公園の外まで…明るいところまで送ります。」

「えっ?! いえ、大丈夫です…」
慌てて手を振り払って申し出を断ろうとするが、有無を言わせぬ感じで歩き出し
「急いでるんでしょ?」
そう言ってグイグイ手を引きながら歩き始めた。

「踏んで壊したスマートフォンは弁償します。」

手を引いて歩きながらそんなことを言われたが、男性に慣れていない私は繋がれた手に意識が集中してしまいしどろもどろに
「いっ、いえ、私が落としてしまった時点でもう壊れていたと…いえ、そもそも私が転びそうになったのが悪いので…」
と断りの言い訳をしているうちに公園の外までついた。

明るい街灯の下まで来てやっと握っていた手を離された。

黒髪の彼はもう一度しゃがみ込んで私の全身を確認すると
「やはり怪我は無いようで良かったです。」
少しホッとした様子で言ってくれた。

(以外といい人?優しいのかな?)

そう思ったのも束の間。

「もうやめた方が良いですよ。あなたみたいな人があんなに暗い公園の中を歩くのは。」

「ど、どう言う意味ですか?!」
(それって私が子どもっぽいから?!昼間も転びそうになって夜も転びそうになった所を見られてしまったから馬鹿にしてるの?!)一気に頭に血が上る。

「私はそこの店に用事がありますので、失礼します。」
ため息交じりに冷たい声でそう言われさらに頭に血が上ってしまった。
「そうですか。助けていただいた事()ありがとうございました。でも、スマホの弁償にはおよびません!失礼します。」
精一杯冷たくそう言い放ち黒髪の彼に背を向け、歩き始めた。

ホントに腹が立つ。あの人を馬鹿にしたような言い方!一瞬でもいい人かも、なんて思ってしまったことにも腹が立つ。

でも…高身長の彼がスーツの汚れも気にせずしゃがみ込んで怪我の有無を確認してくれた事を思うと少し胸がドキッとしてしまった。思わず後ろを振り向く。

用事がある、と言ったのは本当だったようで、公園を抜けた先にある高級そうな花屋に早足で入っていく黒髪の彼の姿が見えた。

(あんな高級そうな花屋さんにあきらかに高そうなスーツを着て花を買いに行くなんて、住む世界が違うんだわ)
そう思、自分の服装を見た。こんな、とても社会人とは思えない格好…大学生みたい。いや、私の幼い容姿では高校生にだって見えるかも。少し惨めな気持ちになる。

「世の中にはいろんな人がいるんだから!比べること無い!」

私はあんな高級な花屋で買う花よりも、道ばたに咲いている花を摘んで飾る…。そんな人生を送ってきた。