本当の恋とは言えなくて

副社長室に入るとすぐソファーに座らされた。

「ふぅ…」
カズくんは隣に座り頭を抱えて溜め息をつく。

「心配させないでくれるかな」

「ごめんなさい…でも、そんなに心配しなくても…」

「心配するだろ、普通。」
少し怒って言う。

「いや、普通がよくわからないんだけど…偽装の彼女のためにこんなふうに心配するのかな…?」
首を捻る。どう考えてもちょっと過保護過ぎると思う。

「偽装でも何でも今は俺の彼女だろ?普通に嫌でしょ、ストーカーに襲われるとか、想像しただけで。」

「でも…」

「紬、ちゃんと警察に相談した?」

「いや…まだ…」

「だろうと思った。」

「ごめん…」

「俺から今日朝イチで警察に連絡して、うちのホテルの防犯カメラの映像渡したりしたんだけど、実際に何か被害があったわけではないから動けないって言われた。」
眉をひそめて苦々しく言う。


「えっ、そんなぁ…」
不安になって思わず両手で口をふさぐ。
体も震えて来た。

「紬がそんな感じだからほっとけないんだ!」
力強く肩を引き寄せられ、胸がドキッとなったが、何だか安心感があり震えが止まった。男性はもともと苦手なのに何故かカズくんは大丈夫だ。柑橘系の香りのせいかなぁ…

「しばらくは用心した方がいいと思う。何かあってからじゃ遅いだろ?」
諭すような言い方に素直にうなずく。

「カズくん、もう大丈夫だから」
そっと離れる。

「…。」
カズくんは心の奥を探るように、じっと私の目を見る。

至近距離でその表情はダメ!男の色気が漂う。ドキドキして目をそらす。

「でも、でもね、ホテルのスタッフの皆さんに変に思われないかな?私みたいな女が…その、カズくんみたいな人と手を繋いでたりさ、親しく?してたり?」

「俺は別に誰に何と思われようとかまわないよ。それに…俺としても助かる。」

「助かる?」

「ああ。助かる。そこで相談なんだけど、彼女って言うか、婚約者として振る舞ってくれないかな?」

「こ、婚約者?!」
また突拍子もないことを言う!目が飛び出るかと思った。

「プッ、真ん丸な目がもっと真ん丸になってる」指でおでこをツンとつついて笑った。

「あ!初めて笑った!」
カズくんの笑顔が見られて嬉しさで不安も吹き飛んだ。

「そうか?」
また無表情に戻ってしまった。

「初めてだよ!私に向けて笑ってくれるのは!!」

あまりにも強調しすぎたせいかカズくんはまたプッと笑った。
(嬉しい!…じゃない!!そうだ、婚約者…って!?)
「そ、それはそうと婚約者ってどういうこと?」

「うーん、実は…」
カズくんは少し言いにくそうに話し始めた。


カズくんは今、父親が婚約者を無理やり決めようとしてきているらしい。何人か候補はいるが、どれも見たことも会ったことも無い人で、明らかに政略結婚が目的の人らしい。
カズくんは自分がホテルの発展のためになるのなら、政略結婚では無くてきちんと仕事で結果を出したいと思っているそうだ。

「だから私が?」

「そう、紬にお願いしたい。」
真剣な眼差しで言われて目が離せない。

「うーん…でも、明らかに不釣り合いだよね。」
自分の服装や仕事を思うと不釣り合いとしか言いようがない。

「え?何で?」
キョトンとした表情だ。

「何で…って。私はいつもこんな感じの服着て、ほとんどノーメイクで…カズくんはいつもピシッとした服で…御曹司で…」
私は不釣り合いだと言う根拠を思いつく限り伝えようとした。それは言い尽くせないほど沢山あり、考えていると自分がずいぶんちっぽけな人間だということを思い知らされた。

カズくんは私の言葉を遮るようにおでこを指で弾き寂しそうにフッと笑った。

「俺は紬と全く何も違わないよ。」

弾かれたおでこが熱く感じ、手で触ってみた。
(違わなくは…無いよ。)


「遅くなった。送る。」
カズくんは私の腕を引いて立ち上がらせ、部屋から出るようにそっと背中を押してエスコートしてくれた。

ドアを開ける瞬間耳元で「じゃ、婚約者の役、お願いしたからね。」そっとささやかれ胸がドキッとした。

「は、はい。」

戸惑いながら返事する私の頬にキスを…

開かれたドア越しに秘書のお姉さんと目が合った。驚き見開かれたその目に私たちはどう映ったのだろう。

「少し席を外すから、何かあったら携帯に連絡してくれる?」
秘書のお姉さんにそう言うと涼しい顔で少し微笑を浮かべると私の肩を抱いてエレベーターに向かった。

「し、失礼します…。」
アハハハ…と不自然な笑顔で会釈をして秘書のお姉さん達の前を通りすぎる。
視線が身体中に刺さる気がした。

程なくしてエレベーターが到着した。

「もう!カズくん!!絶対わざとでしょ!!」
エレベーターの中で怒りが爆発した私は頭から湯気が出そうな勢いで抗議する。

「婚約者の役お願いすると言ったよね。」
相変わらず涼しい表情だ。心なしか口角が上がっている。

「だからってわざと見えるようにドアを開けてキ、キスを…しなくても…」
最初は勢いよく抗議した私だが、思い出すと恥ずかしくなり段々と声が小さくなってしまった。

「肌に触れないところで寸止めしただろ。本当にはキスしていない。」

「そ、それはそうだけど…。」
そう、前回のキスも指でカバーしていたし、今回も寸止めだった。
本物のキスとは言えない。それはそうか…私は偽物の彼女だもの。
変に納得した。

「で、でもびっくりしたんだからね!私キスなんてしたこと…」無いんだからと言いかけて言葉がしぼむ。26歳にもなって胸を張って言うことでは無い。

それでもカズくんには言わんとする事が伝わったらしい。少し驚いたような表情の後、ホッとした顔をしたように見えた。大きく表情は変わらないが、わずかな表情の変化で感じとる。

保育士として働くうちに子供の表情やわずかな変化感情や思いなどを汲み取ることが癖のようになっているのだ。
本当にキスしなくて良かった、とでも思っているのだろう。

その後は何だか気まずい雰囲気になってしまい、お互い無言のままロビー横の従業員通路に着いた。

「車で送る。」
そう言うと駐車場に向けて歩きだした。
手を繋ぐわけでもなく、肩を抱くわけでもない。早足で歩くカズくんの後ろを小走りで追いかけた。今は彼女の振りをしなくてもいいのだろう。 当たり前だ。人気がない今、誰も私たちの事を見ていないのだから。

偽物の彼女 と言うことを思い知らされた。